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グアテマラ・ホンジュラス 1998.11

概要
11 20 成田〜アトランタ〜グアテマラシティ
21 アンティグア〜パナハッチェル
22 サンチアゴアティトラン〜チチカステナンゴ〜
23 〜フローレス〜ティカル〜グアテマラシティ
24 リオオンド〜コパン〜リオオンド
25 〜リビングストン〜グアテマラシティ
26 グアテマラシティ〜アトランタ
27 アトランタ〜
28  〜成田

 デルタの乗り継ぎが良いせいか、成田からアトランタ経由でグアテマラシティーに深夜に到着する。なぜか機内の写真がなく、深夜到着で早朝出発になったせいでグアテマラシティーの写真もない。で、いきなりアンティグア市内。グアテマラシティーからバスで約1時間。


アンティグア

 アンティグアは植民地時代の首都、古都で、シティーから結婚式のためにみんなで来ると言うので、京都&軽井沢という感じだろうか。グアテマラは日本と同じく地震国、前の首都が地震で崩壊したために都をもってきたが、ここも地震で壊れ、現在の首都はグアテマラシティーになっている。
 ラメルセ教会にある噴水。水はあるが噴水にはなっていない。現役のラメルセ教会は隣にあって、黄色地に白線のしっくいがあり、かなり有名どころらしいが、スペイン時代のものには、さほど興味は感じない。次は教会前にいた土産物売りのお嬢さん。
 市内の様子。右はサンフランシスコ教会の、これも崩れた遺跡になっている方。やはり隣に現役の教会がある。
 土産物屋の玄関を抜けて中庭に広がった、現地おばさん達の土産物展示場。表通り、通路側が整然として古都らしくなっているのに対し、中庭の一面に広がった衣類、生地は、かなりインパクトがあった。右は洗濯場、2〜30人が一度に使える。
 アンティグアからさらに2時間、そう言えば電柱がないな〜と言う程度で、日本とほとんど違いを感じさせない風景を抜けて、山を下った所にあるアティトラン湖畔の町、パナハッチェル。観光客と土産物屋が、いずこも同じ観光地の風情を見せていた。

パナハッチェル〜チチカステナンゴ

パナハッチェル
 アティトランホテル。街から少し離れて湖畔にあり、設備も食事もなかなかだったので、2〜3日はゆっくりしていたかったが1晩だけ。中庭はいろんな草花がきれいに整備されている。アヒルが歩いていた。 
 朝食メニュー、それに中庭を降りたところにある桟橋。ここから40分かけて対岸のサンチアゴアティトラン村へ向かう。風もなく湖面は穏やかだったが、ボートが結構スピードを出すので、風をまともに受けると曇り空の天気では寒い。
サンチアゴアティトラン
 アティトラン湖と村の市場。すももサイズのリンゴを売っていたので、買って食べたが、特に何てことはないただのリンゴ。アティトラン村は桟橋からずっと坂の街になっていて、土産物屋も多い。途中にディスコかと思うような賑やかな所は、良く見るとプロテスタントの教会だった。市場の上に広場があり、そこにも教会があるが、色黒のキリストとか、インディヘナ衣装の聖人たちがいる。
チチカステナンゴ
 市の立つ日曜日に日程を合わせた旅程になっているのだが、毎週こうなのかなあ〜と思わせるくらい賑やかだ。3枚目は路上の一角。まるで七夕状態である。最後は普段は体育館らしいところに広がった野菜売り場。2階の回廊から眺めている。
 この町には、今回の旅行で唯一の撮影禁止場所、サントトマス教会がある。マヤ神殿を壊して立てられたカトリック教会で、撮影禁止の理由は、床にロウソクを立て、香油をかけながら、一心に祈っている、その祈りだろうか。キリスト教の祈りには思えない。

ティカル

 4時起床で6時半の飛行機に乗る。200人くらいの客のほとんどがティカル目的だろう。これが毎日飛ぶのだから、ティカルもたいしたもんだ。フライトは30分ほどなので乗る時に簡単な朝食が配られる。ティカルは中に入ってしまうとジャングル。神殿の天辺に登ると、遠くに別の神殿の天辺が見えるくらいで見通しは良くない。最初はコンプレッホQと呼ばれる遺跡。それにモースレイ通り。案内書に”通り”とあり、いくら歩いても、その”通り”に出ないので不思議に思っていたら、これがそうだった。
 4号神殿、ティカルで一番高く70m。その頂上部にある部屋のようなところでの記念撮影。右はその登り口で、かなり急傾斜の梯子階段を60mほど登る。上半分は梯子が1つしかないので、降りる人を見計らって登らなければならないが、それがちょうど良い休憩時間になる。なお、神殿の全景は見えない。
 ”失われた世界”のピラミッドの途中と頂上での記念撮影。こちらは修復が進んでピラミッド状態になっており、全景も見渡せる。高さ30m。かなり急で、降りる時には雨もちらついてきたので、4号神殿より遥かにスリルがあった。写真後に見えるのが4号神殿。次の1、2号を除くと、全体的にこんな感じである。
 セントラルアクロポリスの全景と1号神殿。この1号神殿と向かい合う2号神殿をはさんでアクロポリスと言われる部分は、かなり整備が進んでおり、神殿が神殿らしく見渡せる。ただし、この1号神殿は立入禁止になっていた。このアクロポリス紀元3〜600年頃のものとのことだが、この下には紀元前の遺跡が埋まっているそうで、こうなると、どこまで掘って、いつの時代を復元するのか難しい問題かも知れない。

コパン

 グアテマラシティーから快適な舗装道路を約2時間で本日の宿のあるリオオンドに着く。コパンへは、さらに3時間くらいかかるが、こちらの後半は山道、砂利道になり快適とは言い難い。左は途中の記念撮影。右はホンジュラス国境。ここから約30分でコパンに着く。
 コパンには日本の発掘隊も入っており、途中の舗装道路は日本が建設したとのこと。ただ、発掘後はそのままになっているので、舗装の状態も中途半端になっている。それに洪水の爪跡も残っていた。
 ここもティカルと同様にこんもりした林の中にあり、遺跡の目の前に来ないと遺跡であることが分かり辛い。ティカルとの違いは、ピラミッドなどがなだらかで、さほどに目立たず、それより彫刻類が目を引く。暗黒神像と、それにアルターQと呼ばれる彫刻で、1面に4人、全体で16人の王が刻まれている。西暦800年頃。スコールによる損傷を防ぐためにカバーを被った彫刻もあり、その一部はカバーを開けて見せてもらったが、と言うことは、カバーのないこのアルターQは複製と言うこ   とのようだ。
 修復のかなり進んだ球技場。この球技場のすぐとなりが神聖階段、神聖文字を彫った60段ほどの階段はテント状にカバーがかぶっており、中に入って見上げるようにしなければならない。
 神聖階段の反対側には野球場ほどの広場があり、そこに8つ立っているステラの1個。人の背丈の倍くらいある。ここの王様達、18ウサギ王とか覚え易いような、そうでないような名前である。それにマリナコパンというホテルで昼食。昔の学校の講堂を思わせるような作りで、料理はフランス料理、ちょいホンジュラス風だろうか。こちらでは当たり前らしい塩小豆(見かけは完璧に餡子)に砂糖をたっぷり混ぜ、パンに塗ってアンパンにしたら旨かった。

リビングストン

 リオオンドのロンガローネというホテル。フロント棟と言うか事務棟のようなところ。それにリオオンドから1時間ほど東に向かったキリグア遺跡の前。バナナ畑が洪水で削られていた。キリグアも洪水で閉鎖中。12月にオープンできそうだとのこと、つまりは後1週間である。
 キリグアの代替で行くことになったリビングストンへの途中でパイナップルを売っていた民家。いつもながら、こういうところのものは旨い。イサバル湖のほとりから乗船。湖付近は川幅も広く、ゆったりしているが、しばらくすると川幅2〜30mの両側が切り立った渓谷になり、曲がりくねった川をモーターボートで飛ばして行くと、あまり見慣れない景色で結構面白い。この頃には遺跡に飽きがきたのかキリグアに入れなかったことなどすっかり忘れている。
 渓谷を20分ほどで通り過ぎると川幅も広がり、やがてカリブ海の港町リビングストンとなる。ただし、このボートは正規に港に入ることが出来ないようで、売店の裏口みたいなところから街に入った。人口3千人ほどの黒人の多い町。カリブ海のせいでもないだろうが、なにかあっけらかんとした陽気さがあった。
 そこから船で1時間戻り、昼食をはさんで一気にグアテマラシティーまで戻る。夜7時過ぎにやっと着いた日本食レストラン”Teppanyaki”。残念だが、ここはお勧めできない。

帰路

 グァテマラ最後の朝食と運んできてくれたウエイター。7時半の飛行機なのでホテル発は5時過ぎ。朝食はルームサービスになったが、それぞれの料理が焼き石で保温されており、卵、ベーコンなどなど十分な量で、かなり豪勢だった。それにグァテマラから約3時間のアトランタ。空港内移動が電車だったり、人の多さ、調子いいポーター、陽気なドライバーについうっかりサービスだと言うコーラを飲んでしまってチップを出すはめになる。また一味違った世界である。
 アトランタ地下鉄駅、コカコーラ。ちょうど昼時の到着で出発が明日朝になるので、アトランタ市内の散策をする。ところがサンクスギビングにあたって、ほとんど人がいない。店も開いてない。コカコーラは覗くだけ、CNNも閑散としていた。
 空港に戻り、お茶と軽食で本日も終わり。明朝10時出発で成田へ向かう。今回は往復の飛行機の写真がない。
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