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イラン日食 1999.8

日食を見るのには日食用グラス(0.0001%、紫外、赤外域に注意)が必要です。
でも、イランを見るのには(欧米メガネ?)は外しましょう。


概要
8 9 成田~テヘラン
10 テヘラン~イスファハン
11 イスファハン市内観光~日食
12 イスファハン~ペルセポリス~シラーズ
13 シラーズ市内観光~テヘラン
14 テヘラン市内観光
15 テヘラン~
16  ~成田

成田~テヘラン
 前回、カンボジアの日食は天文雑誌主催で、編集長や天文台の先生、パラボラアンテナまで持ってくる通信社、アマチュアでも荷物の大半が撮影機材というツアーだった。それはそれで良い経験だったが、今回は、”日食があるからちょっと見ましょうか”程度の普通のツアーを選んだ。
 ちょうどお盆休みにあたり、飛行機も満席だろうからと、ちょいリーズナブルなビジネスクラスを利用した。(イラン航空ではビジネスの料金でファーストのサービスと言っている、確か20席くらい)キャビアも出てくるし、これ、お得です。
 深夜の到着で、明朝はイスファハンに向かうので、あまり時間がない。

テヘラン~イスファハン
 7時出発で8時飛行場。空港内のバスで隣にいたイラン人らしい親子と窓外の風景。
 最初はハシュトベヘシュト宮殿。8つの楽園という意味らしい。ただ、残念なことにはイマーム広場周辺のものが、さらに緻密繊細かつ壮大なため、若干見劣りして市民の憩いの場との扱いになっている。子供たちが近寄ってきて写真を撮れなどと、やけに懐っこい。
 右はイマーム広場。幅160m長さ500mを囲む建築物は、世界の半分と言われた時代を思い起こさせるように、でかくて細かい。見事である。
 イマームモスク入口から撮影したところ、どんなに細かく分けていっても、それぞれが全体を表しているような、なんとも複雑な単細胞。でもすごいと思う。その内部で記念撮影。他にロトフォラー寺院とかアリカブ宮殿とかがくっついてある。
 イマーム広場の周囲、あるいは内部の回廊はバザールになっている。ごちゃごちゃしていて、日曜雑貨、電気製品などなどなんでも売っている感じ。その後、広場を馬車で一周。

イスファハン市内観光~日食
 バンク教会とチェヘル・ソトーン宮殿。それぞれに立派なのだが、気持ちが半分日食にいっていた。
 金曜のモスクとバザール。このおじさんはピスタチオナッツを売っていたのだが、これが絶品である。ピスタチオは生に限る、と思えるほどいい味だった。だが、日本で手に入れるのは難しいようだ。
 モスクを背景に日食を撮りたかったのだが、治安上の理由とかで、郊外の小高い丘のスポーツ施設に移動しての観測となった。そこは日食専門のツアーなどで日本人村になっており、100人以上いたようだ。メデタク快晴。ダイヤモンドリングばっちり。それに、市内方面は自動点滅の照明が点いてしまっていたので、郊外で正解だった。右は下の写真を撮影したビデオ。
 日食写真4枚。部分日食から、入りのダイヤモンドリング、皆既、出のダイヤモンドリング。
 日食後に寄ったシェイキング・ミナレット。正式にはジョンバーン塔と言うらしいが、ここに人が入ってゆっさゆっさと揺らすことができるので、それで有名らしい。塔揺らしの係員が誇らしげに説明した後、必死になって揺らせていた。それに夕食。

イスファハン~ペルセポリス~シラーズ
 ホテル前大通りの中央にある遊歩道。それからバスでシラーズへ向かう。途中の昼食場所。町を離れると不毛の砂漠が多く、木陰は滅多にない。大王の墓の近くの予定していたらいい木陰にはイラン人先客がいたが、親切に場所をあけてくれた。
 キュロス大王の墓の前でイラン人と記念撮影。この家族には、次のペルセポリスでも一緒になる。ケルマンから来たと言っていた。ケルマンの先にあるアルゲバムには、折を見て行ってみたい。右はペルシャ最古の都、パサルガダエの遺跡。
 こちらペルセポリス。少し小高い丘にあり、階段を上って少しづつ見えてくる。壮大であるとの思い込みがあったせいか、さほど大きくなかった。大英博物館でも、ここの彫刻を見たような気がする、相当数が世界の博物館に行っているのかも知れない。イラン人観光客も多い。この集団は女学生?。
 懐かしい彫刻がたくさんあった。世界中に、それに現代の日本人にすら届く、文明発祥からの感性の継承か、アニメのせいか。右はナグジェロスタム。これも王墓だが、クセルクセスとかダリウスとか、有名どころの墓。左下の細かいのが人なのだがわかるだろうか。いずれにえよ、岩の中央の黒い四角が十分な高さの入口。この後、バスでシラーズへ真っ暗になっていた。

シラーズ市内観光~テヘラン
 シラーズのホテル。そこから徒歩で行ける街中の城塞、キャリーム・ハーン。
 移動のバスとエラム庭園。ここでも女子高生の修学旅行みたいな感じの集団と記念撮影。旅行の解説書には、カメラを嫌う人もいるので、十分注意して・・・などとあり、それはそれで当たり前だが、この旅行中、それすら忘れてしまうほど、嫌う気配はなかった。人の写真の撮り易さではイランは随一である。むしろ、向こうから写真を一緒に撮らせてくれと言ってくることも多かった(もちろん彼らの記念にであり、どこかみたいに金よこせなんてことはない)。どうやら日本人大好きみたい。この雰囲気は大切にしたい。
 シャーチェラーグ廟。女性は、入口のみやげ物屋で貸してくれる上から下までの厳重チャドルが要求される。内部の撮影はできないが、びっしり満員に近い信者たちが、キンキンギラギラの廟内の、それまた金銀宝石のお墓にさわり、お祈りし、墓にお金を差し込んでいた。廟入口から男女別。サーディー廟で現地ガイドと。
 こちらハーフェズ廟。サーディーと共に、一応詩人の範疇なのだろうが、日本人の詩人と言う言葉のもつイメージとは、かなり違うような気がする。でないと、ここまで大事にされる意味がわからない。近くのチャイハネでお茶、水パイプで休憩後、コーラン門に向かう。ちなみに、水パイプは煙はくるけど、タバコという感じはしない。
 コーラン門とテヘランへの飛行機。

テヘラン市内観光
 ホテル近くを散歩。テヘランの街は、日本の都市の平均を取ったような、建物、街路樹、歩道の広さ、車の多さなどなど、まるっきり違和感がない。右はタクシーからの写真で、うろ覚えだが、観光バスの手配ミスか何かだ。
 考古学博物館にあるハムラビ法典は複製品で本物はルーブルにある。フランスが返そうとした時、イランとイラクが互いに主張して話合いがつかず、両方複製で一件落着となったそうである。そういえば、大英博物館にもペルシャの遺跡はひとつのコーナーを作っていた。英仏って結局、世界の大泥棒なんじゃない。
 こちらガラス博物館。正倉院時代の瑠璃椀などもあったが、土産もの屋の感じもする。
 マタハリモスクと絨毯博物館。じゅうたんは、確かに細かく、見事なのだが、うん千万円!と聞いて、そちらばかりに目が行く。
 スーパーマーケットと夕食。スーパーはバザールが発達しているので、高級品店になっており、他の国ほど面白みはなかった。

テヘラン市内観光~成田
 ホテルから見た市内の景色。大都会である。それにイスラム革命前にはパーレビ朝でも使われていたサーダバード宮殿。夏の宮殿で、郊外の山裾、確かにしのぎやすい場所だった。
 こちらサーダバード宮殿で外装の石がきれい。右の写真の中央は銀行で、この地下に宝石博物館がある。近くでも写真が撮れない。この博物館は見応えがあるい。ルビーとかサファイアは親指大がごろごろしていて、小豆サイズ程度のダイヤモンドは一皿に盛られていた。宝石の椅子とか地球儀とか、宝石のありがたみやあこがれが急に空しくなる場所である。ちなみに、ガラスに触れるだけでブザーがなり、入口扉が閉鎖する。
 バザール。ここでも女の子たちがキャーキャー言っていた。
 スルーガイドのありプールさんの家。日本にいたこともあるそうで、なかなか立派な家である。なにせ、18人の客を招待できる家だ。イラン女性も家の中ではチャドルなし。右はアサーディータワーをバックに添乗員の青木さおりさんと。
 これは空港ラウンジ。ビジネス客が3組おり、2組は医者だった。最後は成田について反省会。ではなく、ビール解禁祝賀会。
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