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Libya 2003.10 

概要
10 18 羽田〜関空〜
19 ドバイ〜マルタ〜トリポリ
20 トリポリ〜セプハ
21 セプハ〜アカクス山1
22 アカクス山2
23 アカクス山3
24 アカクス〜ダハーンモズルク
25 ダハーンモズルク〜ワディマタンドッシュ
26 ワディマタンドッシュ〜ウバリ
27 ウバリ〜セブハ
28 セブハ〜トリポリ
29 レプティスマグナ観光
30 トリポリ市内観光〜ドバイ
31 ドバイ市内観光
11 1 〜関空〜羽田

haneda〜tripoli

 仕事の都合で奥様だけの参加となったT氏ご夫妻。羽田〜関空からエミレーツでドバイ。
 ドバイまで11時間、ドバイで4時間待ち、マルタ経由でトリポリまで8時間。まる1日の行程。機内は全席パーソナルTVがあってゲームもできるし、映画も見られる。日本語吹替もあるが、アラビア語字幕がちょっとうるさいとか、吹替がやや手抜きの感じがする。
 トリポリ空港。どこに行っても英語が併記されているのが普通と思ったが、ここは違う。さすがアラブで、英語も滅多に通じない。レストランの夕食。これはまだ小振り。

tripoli〜sabha

 セブハへ向かう途中のガソリンスタンドの隣にいた果物屋さん。ここでざくろを買う。このざくろ、ほんのり赤い程度で真っ白。味はちょい薄めで種がでかいのは同じ。右は地下住居だが、水が貴重なため、排水より貯水優先。風を避けられ、涼しく、四方に部屋があって豪邸である。
 トリポリ〜セブハ800kmをサロン付き豪華ジェットバスで8時間。右は昼食のレストラン。ここでざくろを食べた。
 800kmを8時間くらいで走るので、通常の速度は120kmくらいになる。砂漠の中の直線道路は石油資源が豊かなせいか道も立派。それに車が少ない。この道路と平行して人工の川(直径4mの土管水路)がトリポリまで水を送っている。右は当局の都合により急遽変更になった本日の宿。

sabha〜addad

 アウイナットまでの約400kmを5時間。これはほぼ真っ直ぐな舗装道路。ここから砂漠に入るので、月光仮面スタイルに変身。タオルに水を付けて捲く方が涼しくて好きなのだが、あっと言う間に乾いてしまうので、トアレグご推薦のこのスタイルが最善か。
 ADDAD、本日のお宿とレストラン。テントつくりに10分ほどかかり、その後、洗面器一杯の水で埃を落とす。夕方でも30度くらいあるが、湿気がないので、体を拭くとぞくぞくするくらいに寒かった。夕食の7時半までは用意されたテーブルでコーヒータイム。散歩もいい。
 本日のメインと夕食後のドライバーたちと一緒。ドライバーはドライバーで夕食を準備するが、毎日、リビアンティーと言う甘い濃い日本茶のようなものを振舞ってくれる。それから9時頃までポリタンク太鼓を叩いて歌う。アラビア語と日本語で訳わからん会話をしながら初日も終わる。

addad〜awiss

 5日目、6日目に見せて貰ったGPSデータのパソコン画面。赤字は別途記入したもので、それぞれの宿泊地を示す。この日は朝からラクダ乗り。ひとこぶラクダなのでしっかり締めた鞍も乗り方でずれてくる。30分くらいすると慣れてくるが、決して楽な乗り物ではない。
 昼食場所のすぐ裏の岩、人がいるのだが、この縮尺では見えない。30mくらいの高さがある。残念ながら午後のラクダは遠慮することにして(9名中6名棄権)ランクルで岩絵見学。ただし、この付近の岩絵はほとんど原型を留めておらず、雰囲気が分かる程度。ただし、奇岩郡が面白い。
 awiss、本日の宿とレストラン。

awiss〜tashwent

 誰もいそうにないアカクス山中だが、ほそぼそと木もあり、草もある。トアレグの家があって、代々住んでいるようだ。女の子がいたらしいが、我々に姿は見せてくれないので、近くにいた男の子(10代だろうか)がやってきてヤギを1頭とお土産用の石器を買う。岩絵はちょうど描き易いサイズで人の絵なら20〜30cm。年代も1万年から5千年前くらいのものらしい。
 昼食場所。奇岩郡なので日陰は、そこそこにある。12時頃昼食になって、2時か3時頃までは休憩時間になる。それに象の足と呼ばれる岩の内側、皮膚まで象そっくりの感じ。
 ここは白での彩色がある。それに本日の宿。5時から夕食を挟んで10時頃まで、いろんな話をして過ごす。ほぼ新月で、カバーをかけないテントの天井には星が見える。月あかりではなく星あかりも結構明るい。

tashwent〜wancaza

 最初の井戸と最後の井戸。なんと言うかまあ、水のあるのもすごいが、まわりの岩がすごいわ。
 岩絵は、この日だけで5箇所くらい。全体で10箇所くらい見ただろうか。線刻画もあるが、多くは彩色画。トアレグのいたずら書きもあるが、出来が違う。
 ビスケットを食べさせてますが、今晩食べちゃうんだもんね。ゴメン。右は砂漠の中の井戸。ここで洗濯している外人?がいた。我々も頭に水をかけてちょっとさっぱり。
 ワンカザ砂丘。薄茶色の砂丘は光の加減でいろいろな色と形を見せる。なだらかな曲線と直線の組み合わせは、不思議に心地よい。それに今夜の宿。

Wadi Matkandosh

 アカクスののんびりした3日間を終えて、この日はワディ・マトカンドュッシュまで約100kmの砂漠の道を走る。砂丘ではなく、土漠と言うのでもなく、岩もそこそこあるが、ところどころで大きめの砂利道になり、そこはゆっくり走らなければならない。右は途中にあった木の化石。
 13時ころ、本日の目的地ワディ・マトカンドュッシュに着く。途中に多少のワディ木々もあるが、ここに到着する1時間くらい前から左のような平原が続き、石を避けた道路ができている。それでもスピードは出せない。果てしなく続く川原道のようなものだが、突然小屋が現れる。まわりに日陰になるところがまったくないので、これを利用するしかない。ワディはその向こう(写真では手前)に少し低く横たわっている。それにランチのオードブル。ランチはTDラーメンかガイドパスタです。
 このワディは、ちょうどこの高さくらいに下がった位置にあるので、1kmくらい手前でもワディのあることが確認できない。右は有名なライオンの線刻画。
 ここでキッチンカーと台所を紹介、それに本日の宿。

Matkandosh-Awbari

 マトカンドッシュ近くの宿泊地から出発。右は途中にあった石灰質の岩。ここだけ唐突に白い。このまわりの砂は掘り起こすと、赤、黄、白といろんな色が出てくる。さらにウバリに向かう途中の農場。このスプリンクラーは500mあり直径1kmの小麦畑になる。その先は舗装道路になっているがあまりよくない。しばらくして初日に走った道路に出る。
 久しぶりの街に入り、ここは博物館。冷たいコーラなど飲んでから、シャワー&ランチになる。ランチタイムは生きゅうりが常時用意されていたが、ここでは久しぶりに入荷のトマトも出た。それに久ぶりの町なので充電しながらGPSデータを確認しているところ。
 午後3時をまわってからウバリ砂丘に入る。本格的に4駆。雪道の要領だが、硬い砂、柔らかい砂の見極めが重要で、一機に登ったり、下ったりと結構テクニックがいる。右は4駆ではなくラクダで砂丘観光をしているアメリカ人?らしい二人連れ。ラクダ使いと食料、水、テントなどで計4頭のキャラバン。
 砂丘で最後のテント。夕食後はいつもの焚き火。

Awbari-Sebha

 前日に見せてもらったGPSデータ。したがって、ウバリからコースは前回のもので、予定と言うことになる。右は砂丘最後の日なので、宿泊地から湖までの砂丘散歩。30分くらい。
 湖の前で記念撮影。それに死海と同じ濃い塩湖なので浮いてしまうガバラン湖。泳ごうとすると腰が浮いてしまってうまくいかない。
 ガバラン湖からは一機にセブハまで砂丘走破となる。途中で記念撮影。それにセブハの少し手前でドライバーたちとの最後の挨拶。
 郊外にある本日のホテル、前回、当局のお達しにより直前キャンセルされたところ。ホテルはどこも同じだが、サービスの概念がちょっと違う。また来て貰わなければなどと言う意識は一切ない。

Sebha〜Tripoli

 セブハから800kmをトリポリに向かう。ラマダンに入ったので昼食を提供してくれるところがなく、場所だけ借りて自分達でカップラーメン。それに一夜明けてホテルの遠景。
 レプティスマグナ。ゆっくり歩いて3時間。見所はまだたくさんあるようだが、砂漠の何もない景色の中でのんびり過ごして来た身には、ちょいつらい。
 ホテルに戻ってから市内のレストランで夕食。その後、緑の広場近くの市場(スーク)を見学し帰りはちょっと照れてしまう馬車。さらに翌日。緑の広場隣接の博物館を見学した後、魚市場を見学、なぜかサメが目立っていた。
 これもラマダン中でようやく準備できたらしい昼食。なかなか優れものだが、量が多い。最後はトリポリ空港で、リビアもこれでおしまい。

Dubai

 たぶん休みであろうと思われた博物館。すごいものはない。
 市内に37あると言うマーケットのひとつ。ブランド品の店がぎっしりならんでいる。ラマダン中で時間が早かったせいか7時過ぎあたりから少し活気が出てきた。右はレストランの夕食。
 夕食後に寄った金市場。金銀宝石を商う店がぎっしりと並んでいる。右はドバイ空港のリクライニングシート。深夜3時の出発である。
 約9時間のフライトで夕刻の到着となった関空。それに羽田までの飛行機。B737、3+3の横6人席は久しぶりである。と言うことでおしまい。
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