中国側は砂漠、パキスタン側は崖、その間にぽっかり開いた雪解け水の緑、だから桃源郷。
月 | 日 | 概要 | ![]() |
9 | 8 | 成田〜イスラマバード | |
9 | イスラマバード〜タフティバイ〜スワット | ||
10 | スワット〜上部スワット〜スワット | ||
11 | スワット〜カラコルムハイウェイ〜チラース | ||
12 | チラース〜カラコルムハイウェイ〜フンザ | ||
13 | フンザ滞在 | ||
14 | フンザ〜カラコルムハイウェイ〜ギルギット | ||
15 | ギルギット〜カラコルムハイウェイ〜アボッダバード | ||
16 | アボッダバード〜タキシラ〜イスラマバード | ||
17 | イスラマバード市内観光〜イスラマバード〜 | ||
18 | 〜成田 |
成田を14時に出発、北京経由、時差4時間でイスラマバード到着は21時。実質11時間は、距離の割に遠い。 (補足)地図でカシミールと表現された地域はインドのように描かれ、インドのように思われているが、実情その2/3はパキスタン。中国が無理して作ったカラコルムハイウェイは、その意味で重要だったようだ。 |
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成田〜イスラマバード〜タフティバイ〜スワット | |
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スワットへ向かう途中のレストランで、近くにいた子供たち、近くにいたと言うより集まってきた。素直ないい感じの子供たちだった。右は食事の一例、味もいいし、好きなだけ取れる。ただ、最初から最後までずっと、これだった。 | |
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アフガニスタンとの国境カイバル峠はもちろん、この地区最大の都市ぺシャワールも寄らず、その近くタフティバイの遺跡を見てミンゴーラへ。タフティバイは小高い山の中腹にあり、車を降りて10分ほどで着く。主なものは鍵がかかっていて管理人に頼まないと見られない。その管理人もイスラムなので仏教に関心がないばかりでなく、世界遺産としての遺跡の価値もあまり意味はないようだった。小声で「これ本物、100ドルでどうだ」とか、そんな感じである。 | |
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ミンゴーラの近くにあるシャンカルダールのストゥーパ(仏舎利塔)。直径約13m。それにスワットセレナホテルのバーベキュー。 | |
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スワット〜上部スワット〜スワット | |
セレナホテル2階の我々の部屋のすぐ前の廊下というかギャラリー。ミンゴーラでは最高級ホテルだが、鍵のしまりが悪いとか、クーラーの音がうるさいとかがある。右はプトカラの遺跡。この遺跡はホテルから歩いて行ける。子供たちが付いてきた。仏教遺跡はごろごろしているものの人は皆イスラム。遺跡は観光の価値しかなく、また、それほど観光客が多い訳でもない。この日も我々以外に人影はなかった。 | |
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スワット上流への小旅行。この後入るカラコルムハイウェイ周辺や南の砂漠地帯とは違って、極めてのどかな田園風景が続く。途中の川渡しに遊びで乗る。 | |
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水の色は違うが渓谷観光地にありがちな風景である。実に日本的なのである。でもって、これはちっともありがたくない。右は昼食のレストラン。鱒料理が人気らしいが、これも、養殖用に日本から仕入れたものらしい。 | |
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この地区の特徴としては、かなり厳格なイスラム圏であること。女性はまったくと言ってよいほど見られない。いたとしてもベールの隙間の目しか見せてくれない。右下の露天野菜売りすら売り子は男。ちなみに、こういう露天の店では、なるべく買い、食べるようにしている。今までの経験から言うと旨い。右はみやげ物屋を物色。 | |
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スワット〜カラコルムハイウェイ〜チラース | |
ホテル玄関とスワットからフンザに向けてカラコルムハイウェイに入るためのシャングラ峠付近。 | |
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峠の茶屋。うしろのおにいさん方が興味深げに覗いている。この後カラコルムハイウェイに入ってしまうと、少し状況は変わるが、この辺りまでは厳格なイスラム圏で、街で女性を見ることはほとんどない。たぶん、この男達にとっても同じなのだろう。変な日本人だからというより外にいる女性が珍しいようだ。それにパキスタン名物の飾付バス。 | |
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カラコルムハイウェイに入る手前にあった壊れかかった橋と昼食のレストラン。 | |
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レストラン近くの子供たち。珍しいというほど外国人が少ないとも思えないので、親近感なのかも知れない。近寄ってくるが、うるさくはない。それにカラコルムハイウェイ。その中央水平に走っている線がハイウェイ、山を削った舗装道路だが、60km/h以上出せるような場所はほとんどない。こんな道が約200km続く。この付近では、まだ、山に緑が少し見える。ガードレールもないこのハイウェイから落ちる事故は意外に少なく、年に1〜2台と言ってたように思う。 | |
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チラース〜カラコルムハイウェイ〜フンザ | |
シャングリラ・ミッドウェイ・ホテル。フンザまでの約半分になる。それにホテルのポーター。俳優といってもいいような風貌、身なりだったので、つい写真を撮らせてもらった。 | |
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チラース近くの線刻画。それにインダス川とギルギット川合流点で地元観光客と記念撮影。チラース手前あたりから緑の気配がほとんどなくなり、岩と砂だけの世界になる。そして、チラースを含め、緑のあるところには、町がある。 | |
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ギルギットを少し過ぎたあたりから見えるラカポシ山。最初に間近に見える雪山(7788m)。道路から頂上地点の水平距離約10km、垂直距離約5km。右はフンザについてから、展望台に行き、そこにいたインドの姉妹。インドとパキスタンは係争中だが、ガイドの弁では、国と国が仲悪いだけだそうだ。 | |
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展望台での記念撮影。それにホテルの夕食。 | |
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フンザ滞在 | |
フンザ小学校の校長先生と記念撮影。現地ガイドのアリの配慮でお伺いした。教材費としてたしかまとめて10ドルを寄付したが、100ドルあるいは、それ以上の価値があるのだろう。授業風景を見た後、校長室でパキスタンの教育の現状など聞かせていただいた。その後、バルチット城に向かう。1974年まで、ミール(藩王)が治める自治王国で、その宮殿。 | |
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城の中で、何かの説明を聞いているところ。それに、フンザ中心地カリマバードの全景。ここでは緑が見えているが、前も後ろも一木一草生えてない。渓谷には雪解け水が白い濁流になって流れているのに、岩肌を削るだけで、生き物のいる気配はない。玄奘三蔵の頃は、行くも戻るも死を覚悟しなければならなかったろう。そこに、ぽっかり開いた生の世界。だから”桃源郷”なんである。 | |
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グルミットの町で開催中のお祭りに出会った。こんな大勢の人がどこにいるんだろうと言うほどの人だかり、ちょうどトルファンで見た踊りをやっていた。一部の人たちはお祭りより私のビデオカメラの方に興味があるようで、ジロジロと見られたが、込み合った見学席を空けてくれたり、親切だった。そのグルミット付近の川。絶景かな。 | |
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フンザのホテルにて、最近は厳しいようだが、もともと飲酒の習慣があるフンザではアルコールが手に入る。みんなでよっぱらって騒いでいるところ。 | |
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フンザ〜カラコルムハイウェイ〜ギルギット | |
カリマバードのホテル。それに、そこから1時間ほど、カリマバードからは川と山の向こう側にある町ナガル。町そのものの風景は古い日本の村を思わせる。ただ周囲に目を向けると岩山ばかりで、遠くに雪山が見える。 | |
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ナガルの町の一番奥まったところにある氷河。その氷河見学用の待合所のような、たぶん民家。コスモスもひまわりも真っ盛り。今はいいが、冬に向かって、大変だろう。 | |
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フンザからの戻り足ギルギットの町で1泊。人口3万人。飛行場もある。フンザあるいは周辺の山登り、トレッキングの基地でもある。町から5kmほどのところにあるカールガーの摩崖仏。それと町の風景。衣類が多いが、食料品からおもちゃまでアメヨコ状態だった。 | |
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ちょっと目を引いた食べ物屋さん。ちょうどお祭りがあった。グルミットでやっていたシルクロード祭りの流れのようだが、この地方随一の町であり、周辺住民を呼び寄せて、大きなお祭りになっていた。夜までにぎわっていて、少し散策。これはくし焼き屋。 | |
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ギルギット〜カラコルムハイウェイ〜アボッダバード | |
朝のミールズロッジ。この日はカラコルムハイウェーをおよそ300km下ってアボッタバードまで行く強行軍の日。少しはやめに出た。右は来るときに泊まったミッドウエイホテルの昼食。 | |
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ナガル付近のインダス川では砂金取りを家業にしている人もいたが、この辺りでも川砂はキラキラしている。ビニル袋に少し貰ってきたが、広げれば、今でもキラキラする。それにイスラマバードまで約100kmくらいの地点で、一番険しくなったあたりのカラコルムハイウェイ。谷底までは300〜500mくらいある。落ちたら、生き残ることはないだろう。 | |
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かなり飛ばしているが、それでも100km3時間はかかる。ぺシャムの休憩場所にあったみやげ物屋。ここあたりからインダス川流域を離れてアボッダバードへ向かう。だんだんと緑が多くなり、日本的に見なれた風景になる。 | |
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さらに休憩してクッキーなどで軽く腹ごしらえ。ホテルで夕食を済ませてから庭で歓談。ホテルシムラリゾートは高台最上段にある昔の大臣別荘を改造したもの。作りは立派だが、お客が我々だけだったので、若干さびしい感じがしたのと、高台へ登る時間にいらいらした。 | |
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アボッダバード〜タキシラ〜イスラマバード | |
シムラリゾートの玄関。右はタキシラのシルカップ遺跡。原っぱに遺構だけが残っている。 | |
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右はタキシラ博物館中庭で地元の観光客。このお嬢さんはなかなか写真に納まってくれず、やっと撮った1枚、ちなみに、おにいちゃんの方はカラテをやっているとかで、今でもはがきが届く。右はジョーリアン遺跡入り口の売店。 | |
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ジョーリアン遺跡。 | |
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同じくガンダーラ仏。それに最後の宿、パールコンチネンタルの部屋。 | |
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イスラマバード市内観光〜イスラマバード〜成田 | |
イスラマバード。丹下健三設計による最高裁判所。それにシャーファイサルモスクの内部。その名のとおりサウジの財力により作ったモスクで大きさもさることながら、細部まで立派な作りである。観光客も拒否はされないが、靴帽子は駄目。 | |
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展望台での休憩。そこからラワルピンディに向かう。喧騒の下町大都会。 | |
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”スズキ”は一般タクシー(7〜8人乗る)で、本体値段と同じくらい飾りに使うそうである。ちなみに地元でも”すずき”で通じる。なお、大きめワゴンタクシーは”とよた”と呼ぶ。右は路地の風景。 | |
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パールコンチネンタルホテルのロビーとメンバー全員での記念撮影。おしまい。 | |
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