月 | 日 | 概要 | ![]() |
12 | 23 | 成田〜パペ−テ | |
24 | タヒチ島一周〜ダイビング | ||
25 | パペ−テ〜イ−スタ−〜オロンゴ | ||
26 | アキビ〜プナパウ〜アナケナ | ||
27 | アカハンガ〜ラノララク〜トンガリキ | ||
28 | ビナプ〜ラノカウ | ||
29 | ハンガロア村〜パペ−テ | ||
30 | パペ−テ〜 | ||
31 | 〜成田 |
イースター島は車で飛ばせば端から端まで30分くらいの小さい島なので、ラノララク、アナケナなど著名な地域は滞在中2回づつくらい行っており、滞在順ではなく地域毎とした。 |
成田からタヒチまでエールフランスで約10時間。午前の到着で、車が渋滞していたり、混載のバスなので、ボラボラ島への客を桟橋まで連れて行ったりして、ホテルまで1時間以上かかった。ただし、今回はイースター島がメインであり、フライト待ちで明日まで暇なので問題ない。右は夕食屋台村。ダウンタウンに100台くらいの改造露天食堂があり、そこまで出かけて食べる。中国系の人が多いせいか、焼きそばのようなものが結構多く、しかもなかなかいける。 | |
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タヒチ島1日観光のスナップ。右の車をレンタルして本島をぐるりと回ると1日つぶすにはちょうど良い。本島はタヒチらしいイメージとしてのリゾートの雰囲気はあまりないが、天気にも恵まれ快適。 | |
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この日の夕方、エールフランスのキャンペーンサービスで体験ダイビングが"ただ"でできるので行ってみた。こちらはまったくの初心者だと言うのに、いきなりボンベを付けて”耳抜きが重要”くらいの説明だけで潜る。かなり必死の心境で潜ったが、なかなか潜れない。人間というのはなかなか沈まないものである。 | |
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滑走路の端から2〜300mくらいの海岸。この下がアナ・カイ・タンガタと言う人食い伝説のある洞窟で壁画などもあるようだ。写真のような切り立った崖で、どうやって降りるか悩んでいるうちに、オロンゴ方面へ向かうことにした。 | |
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ハンガロアの村から歩いても1時間ほどの、ハワイのダイヤモンドヘッドみたいなところ、ラノ・カオ。我々はエスクードで来てしまったが、自転車の人、歩きの人、車も1台くらいはいたようだ。全部あわせても10人にはならない。火口湖のようなもので、下は湿地状になっており、葦のようなものが茂っている。右はラノ・カオの少し手前からハンガロア村を眺めたところ。 | |
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火口の正面、峰の部分が下段のオロンゴの遺跡である。左は石の小屋で、痩せた人なら入れるくらいの狭い入り口以外は何もない。背も立たないから住居とは思えず、オロンゴ全体が宗教儀式の広場のようなので、その関連だろう。右は鳥人のレリーフ。ここはイースター島内唯一の有料入場(遺跡保存)。 | |
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最終日に来たビナブの遺跡。上のアナ・カイ・タンガタのちょうど反対側にあり、やはり滑走路から2〜300mのところ。インカの遺跡のような緻密な石組と首だけのふくよかなモアイがいる。風が強く、日差しが強く、まわりには誰もおらず、少し昼寝をしてから反対側からのラノ・カオを目指して進んだ。道らしい道はない。 | |
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ハンガロア村から海岸縁を北上する。地図には点線で表記された道だが、途中に柵があったり、石が少ないので、ここが道なんだろうと言う程度の道で、ほとんど車は通らず、轍も判然としない。ただし、見晴らしは良いので、あっちこっちでボーッとしながら先に進む。馬数頭と自転車のみで、車を見たのはアフ・アキビに来てからだった。 | |
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アフ・アキビはテレバカ山の中腹、ちょっと小高いところにあり、島内唯一海に向かって立つモアイがある。他のモアイは海岸から陸にある村に顔を向けて立っているとのこと。ここも村向きだが、ここだけ山にあり、海向きになっている。 | |
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アキビに行く途中にあるテ・パフと言う洞窟。中は広く、奥に進むと写真のような穴があり、これを上から見ると右のようになる。これに適当な蓋をしたら上からは絶対に見つからないだろう。島人がひとりづつ自分の穴を持っていて遺跡の多くが隠れているらしい話もあるが、そういった世界が実感できる。 | |
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プナ・パウ。アキビのモアイにはプカオ(帽子)がひとつも乗っていないが、本来は乗っているらしい。そのプカオの産地付近。硬さは本体のものとそう大きな違いはなく、ちょっとした石でたたけば崩れるくらいの硬さである。それに石切場からハンガロアの村を眺めたところ。遠くにラノ・カオの裾野が見える。ちょうどオロンゴあたりだろう。 | |
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アカハンガ。イースター島のモアイはモアイ倒し戦争が200年ほど前に始まり、100年前には全部倒されていたとのこと。したがって、ここに倒れているモアイがちょっと前の自然な姿なのかも知れない。うつぶせに倒れている。最初の写真はアメリカ人らしいカップル。オートバイの調子が悪く、あちこちでエンストしていた。 | |
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ラノララク。モアイの製造工場。はじめの写真の山がラノララク山で、ラノカオと同じような火口のような形をしている。モアイ本体は全てここから切り出されたようだ。手前に仰向けに倒れているモアイは、モアイ倒し戦争の結果ではなく、運搬途中のものだろう。立ったモアイ、倒れたモアイがあちこちにある。ラノララクの中腹まで登ると、2枚目のような切り出し途中のモアイがあり、運び始めのモアイがにょっきりと立っている。この辺がモアイのイースター島のハイライトかも知れない。 | |
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内側にも100体ほどのモアイがいる。ちょっと小振りな感じはする。ここも火口湖になっている。 | |
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近くのトンガリキの朝日を撮った後、眠くなって昼寝をしているところ。それにトンガリキのモアイ。島内最大のモアイ軍団である。チリ地震の津波で倒れていたらしいが、それを日本のTADANOクレーンが機材を寄贈して修復したもの。95年5月と言うから、まだ、1年ほど前のことである。 | |
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イースター島のモアイは面白い。特にラノララクでは数百体ものモアイがいるので壮観だ。だが、島全体にほとんど木がないことが、この島の奇妙さを際立たせているように思う。モアイを運ぶために木を切り、船を作るために木を切り、煮たり焼いたりのために木を切る。やがて木が1本もなくなり、モアイ倒し戦争が始まる。このモアイたちはどう見ていたのだろうか。 |
島中どこでも断崖絶壁が多い中で、このアナケナ湾が一番静かな海になっている。TADANOのクレーンもここから上陸した。数少ないビーチなので、休日には村の人もここに来てバーベキューなどをやっていた。最初の写真の椰子の木は、そんな環境作りのための植林だろう。右はラパヌイ初代のホツマツア王のモアイらしい。ヨーロッパ人はイースターに見つけた島だからイースター島と呼ぶが、チリ人はスペイン名のイスラ・デ・パスクワ(パスクワ島)、地元の人はラパ・ヌイ(大島くらいの意味だと思う)と呼んでいる。それにアナケナのモアイ。小さいがプカオがキチンと乗って、アフ(祭壇)まで整っているのは、ここがリゾート地だからだろう。 | |
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コンチキ号2世のようなものを組み立てている現場。ここからオーストラリアを経てアジアまで行く計画とのことだった。日本人が一人参加していて記念撮影。 | |
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写真はテピトクラからポイケ山方面の海岸。右はトランペットストーンで穴の開いたただの石だが、この後ろに見えるなだらかな山がポイケ山。中腹では羊が飼われていた。なだらかなようだが、結構険しくなっていて山の向こう側にはエスクードでも行けない。 基本的にこのあたりに人は住んでいないのだが、1軒だけ家があった。人もいた。静かに暮らしたいのだろうか。ただ、ここからハンガロア村まで島内随一のアナケナハイウエイがあり30分で村に行ける。ちなみに長い舗装道路は、この1本だけ。 |
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テ・ピト・クラ。地球のへそと言うらしいが、なんでもないただの石のように思えた。それにアナケナの反対側のビーチ。こちらは、また一段と人が少ない。 | |
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中心部の市場で、ここでお土産も売っている。近くにスーパーもある。滞在中はホテルでの食事が多かったが、遠出するときはスーパーでパンとチーズと牛乳などを仕入れて行く。夕食は街中のレストラン。ただ、村全体がひとつの観光会社のようなもので協定料金に近いものがあり、値段は大きな違いがない。 | |
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博物館とレストラン。この島にはクラントとか言う名物料理があるようだが、大量に時間をかけて作るようで3人の客では無理のようだ。奮発してランゴスタディナーにした。 | |
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村のすぐそばにあるタハイのモアイ。それにマタベリ空港。東のチリまで3700km、西のタヒチまで4000km離れた本格的な絶海の孤島のため、万が一の際のスペースシャトルの緊急着陸用空港になっている。通常は週に2便くらいしか来ないし、来れば直ぐに飛び立ってしまう。 | |
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ホツマツアホテルの玄関。ここのおやじちょっと変だった。最後はエールフランスで成田に向かう。おしまい。 | |
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