1998年4月24日〜5月4日 タンザニア

4月24日

10:54-11:34 日光〜宇都宮
12:00-14:40 宇都宮〜成田
19:25-23:40 NRT〜BKK

 私が前日から、悦子が今日からの荷物準備をした。これほど悠長というか遅れに遅れたのも珍しい。それでも、テープやフィルム、レンズなどの品物は、なんとか揃えてある。オーストラリアに行く予定が一ヶ月前になってタンザニアになるなど、急場しのぎの対応にならざるを得なかった。
 10時半におやじにJRまで送ってももらう。雨が降っているのに、屋根のある手前に止めるあたりが親父らしい。宇都宮でも雨が降っていたが、多少小降り、傘も差さずにマロニエの乗車口に行った。マロニエはガラガラで前後の座席にも人がいないくらいだった。10人ほどだろうか、これほど空いているのは珍しい。道中も順調で、2時間半で成田に着いた。
 早くついてもやることはない。コーヒーを飲んで、16時になるとDODOわーるどの看板が出たので行くと、勝手にチェックインの手続きをやってきた。チケットにはファーストクラスのところに手書きで16、17と書いてあったので、多少期待しながら、先に進む。すぐに出国手続きを済ませ、免税店でタバコを買って、セキュリティーチェックもスムーズに通ってゲートに行ったが、まだ2時間もある。4階のコーヒーショップでうどんとラーメンを食べた。これが、一分間お湯に付けるタイプのインスタントのようで、650円はべらぼうに高いが、空港だから仕方がないか。
 18時20分頃になってゲートが開き、期待して行くと、別に用意してあった搭乗券と引き換えになった。これが、55H56Hと言う前後席、完璧なエコノミーで、いつもより酷いような状態、ファーストを期待する方が間違っておる。前後の席だが、早く入れたせいで、荷物は乗せられる。乗せられると言うより、悦子の前には席がないので、荷物がおけない。上の乗せる他ない。私の隣にはタイ人らしいカップル、悦子の隣にはアメリカ人のようなカップルだった。19時25分に離陸、食事は一回、飲み物2回、ノースウエストでも、この路線はタイ人のスチュワーデスがほとんどで若くて、まあ美人だ。
 バンコックに降りる少し前から、手続きの準備を始める。23時40分着陸。とにかく、皆と一緒に入国ゲートの近くに行って、入国せずにトランジットに入る。ところが、これだけのことがなかなか分からない。仕方なく、係員に聞いた。彼も英語はさほど得意ではなさそうだったが、ターミナル1の方に行けば分かるとのことで、そちらに向かい、階段をのぼると、いきなり華やかな世界になった。その中でもちょっと地味目の方で、居眠りしたり、喫煙所を見つけて歩き回ったりしたが、どうも喫煙所はないようだった。3時半まではやることがない。

4月25日

05:30-11:30 バンコク〜アジスアベバ
16:30-18:30 アジス〜エンテベ
19:10-20:20 エンテベ〜キリマンジャロ
20:45ー21:15 空港〜ロッジ
21:30-22:00 夕食

 結局3時半までは何もすることがない。到着ロビー2階とリチェックインカウンターの部屋を通って3階出発ロビーを行き来する。3階の追番側の端まで行ったが、反対側はあまりに遠すぎるので諦めた。1kmはゆうにあるだろう。第一ターミナルの方がきらびやかと言うか、ちょっと華やかな感じがする。第二の方が地味、人通りも少なく、3時近くになると、免税店の売り子達も机に顔を乗せていねむりしていた。
 3時半にチェックインに向かう。階段のすぐ下に10人ほどの客が並んでおり、女性の係員が一人で対応していた。この時並んでいたほとんどの人は、12時に着いた頃からいた人たちに思えた。他の場所にいっても、結局待っているだけなのだから、ここでいても良い訳だ。と言うことで、私の後ろには一人しか来なかった。一人5分くらいかかっていたろうか、途中で、別の係員が荷物のチェックに着ていた。黒人のでっかいおばさんが何やかやと問い合わせしていたが、なんのことかは分からない、日本人女性と結婚したナイジェリアの青年が里帰りするところで、前にいたおじさんと話していた。そのおじさんは息子がエチオピアへ赴任中らしい。
 4時10分ほどでチェックインが終わり、搭乗券を貰う、あれだけ時間がかかっていながら、自分のだけはスムーズに思えるのは気のせいだろうか。ゲートまで遠いこともあり、さっさとゲートに向かう。しばらく歩いて21ー27ゲートの通路に入ると、荷物チェックがある。そこで、搭乗券を見せてから入る。今回は、一度もひっかかってない。待合所に入る時に半券が切られ、このブロックはすでに機内のようだ。しばらくすると吉田さんたちが入ってくる。こちらには気が付かなかったようなので、声をかけにいき、ここでしばらく、話す。初めての海外旅行で、英語も全く駄目とのこと。新婚旅行でタンザニアのイメージとはかなり違う。
 5時30分、定刻どおり、バンコックを出発する。客がほとんど乗っておらず、1割か、それ以下。3人席のどれかに寝ようかと思えるほど空いている。悦子はそうした。あっさりとした朝食は、エチオピア航空の味と感じさせるとまではいかないが、まあまあ良かった。寝たり寝なかったりで、ムンバイに着く、9時30分。
 ムンバイでは、ただ機内にじっとしている。10人ほどのインド人が、あまり必要はないのだが人余りなので仕方がなくやっている風に掃除をする。その後、大勢のアジスへ向けた客が乗った。バンコック〜ムンバイの損を取り戻すような満席状態。一つも余裕がない感じだ。それも黒人、ユダヤ、イスラム、アラブ、サリーのようでサリーでなく白のスカーフだが、結構凝ったものだったり、どれがどれだか、さっぱり分からず、ただ、思い切りいろんな人種が乗っているのだけは分かる。これだけの混成部隊は初めてだ。もっとも一番の少数派が我々なのかも知れない。
 予定の滞在時間1時間を若干遅れて10時50分ムンバイ発、約5時間後、だが時差4時間で、11時35分にアジスアベバに着く。ムンバイでのちょっと余分の待時間もなんのその、予定通りに到着した。機内の様子は、さすがに満席だけあって、食事のサービスにしても、全部終わって、しばらくしてから、コーヒーが回ってくるといった調子。やはり、半分くらいがちょうど良いのかも知れない。
 アジスアベバでは、バスでのターミナル移動となる。近くのほんまもんの外人が、ちょっと東洋系くさい外人をさして、おまえの友達か、ここは禁煙だぞと言う。たしかに10時間、がまんしてきたので、吸いたいのは私も同じだが、飛行機の近くではやはり止めた方が賢明かもしれない。2台目のバスに乗ってターミナルへ向かう。このバスが新車に近いくらい綺麗なバスだった。
 ターミナルに着くと、聞いていたとおり2階に上がる。聞いていたとおりにチケットが並んでいて、聞いていたとおりにチケットをくれた。そのまま行き過ぎようとするが、吉田さんたちのチケットがないとのこと。しばらく探したがない。結局は再発行になったようだ。この件でちょっと時間遅れはしたものの、トランジットカードを貰って、ロビーにいるが、さて、どうしたものか、それからが分からない。カードをもった連中が、ぞろぞろと外に出ていくので、着いていくことにする。
 入国審査のところでは、パスポートを取られてしまって、ひと悩み、ピンクのカードをくれたのだが、これが、パスポートの引き換え証になっているようだ。出る前に池田さんから聞いた、食事はエチオピア航空で用意してくれるとの話を思い出した。言わば入国してしまった訳だが、ここで、白衣を着た係員風のおにいさんに案内されてレストランに行く。訳も分からずに、付いて行き、じっとしていると、コーラから始まって、スープ、メインと出てきた。どうも牛系の硬い肉と硬いライスの味の濃いメインは、全部を食べると腹を壊しそうだった。半分ほど食べる。悦子はここで、ベジタリアンにした。ポテトがいっぱい入っていて満足そうだった。
 最後にたぶんコーヒーくらいは出るのだろうが、もう腹いっぱい、遠慮してレストランを出る。ここでも係員に誘導されて、いわゆるチェックインカウンターのところに出るのだが、ここでは、さきほど預けたパスポートが見えたので安心して、のんびりする。空港で写真を取ったり、ビデオを取ったりして、出国審査に入ると、すぐにパスポートが戻される。エチオピアは全体の動きが良い。
 2階の出発ロビーでまたしばらく待つのだが、出発予定は2時半、出発の案内も出ておらず、しばらく、待合室でぼーっと待っていた。ここはバンコックとは違って、ほぼ全席が喫煙席になっており、欧米人とおぼしき夫妻がタバコをふかしながらトランプをやっていた。タバコを吸うには困らないが、灰皿の多くが、底抜けであるので、火始末が心配だ。免税店にまわりを囲まれており、一角には軽食コーナーもあるが、買い物をする気が起きないのは、時差の影響よりは、やはり、通過点に過ぎないからだろう。腹もいっぱいだ。
 2時頃に出発案内が出て、セキュリティチェックを通る。このチェックがかなり敏感で、ベルトの金具にも反応していた。ベルトを抜いて通る。3番ゲートでバンコックのように搭乗券が切られる。ここも機内のような状態だが、バンコックと違って、出入りがほぼ自由だ。もっとも、ここに入ってから2時間以上待たされることになり、その間にトイレに行きたい場合は、通路に出なければならない。この通路が喫煙所になっている。つまり中は禁煙だ。
 2時半の飛行機を待っていたが、なかなか来ない。時折大降りになる雨とカッパ着た作業員の様子など見ながら、じっと待っていた。暑くはないので、日本の夕立ほどの爽やかさは感じられない。むしろ梅雨空に近い。飛行機が来たのが3時過ぎ、搭乗開始は4時、離陸は予定よりさらに2時間遅れの4時半だった。通路を挟んで3+3席の757、我々は通路側2席、窓側の人がなかなか来なかった。ところが、来なかったのではなく、我々を待っていたようで、窓際に行けと言う。トイレを意識して通路側を確保したかった悦子は不満そうだったが、その窓側の人、荷物が多くて窓際に入る余裕がない。我々がいつもどおりに観光客をやっていれば喜んで入ってしまうのに、この時ばかりは、しぶしぶと了解した。
 ウガンダのエンテベに着いたのが18時30分。薄暗い中で、空港と、その周辺のわずかな地域を狭い窓から眺めただけだが、緑豊かで過ごし安い場所であることが分かる。ウガンダと言えば、内戦、虐殺事件など暗いイメージが付きまとう。豊かであるが故に技術的な進歩を必要としなかったところ、そこに情報を含めた先進技術を注ぎ込んだ結果が、それだったのかも知れない。ほぼ満席状態だった機内も、エンテベで半数近い人が降りた。我々に窓際を譲った人も、後ろの方に移動していった。19時10分にエンテベを出発し、20時20分にはキリマンジャロに着く。
 キリマンジャロは国際空港ではあるものの、空港の建物は、せいぜい100mくらいだろうか、中の照明が漏れているが、外側にイルミネーションらしい明かりはほとんどない。滑走路側には3個の外灯が並んでいて、その一つ一つに埃をまぶしたように昆虫たちが群がっていた。日本で見る最大級のさらに10倍くらい。地面と外灯の間に提灯を作ったほどに虫がひしめいていた。せいぜい2〜30人くらいの到着客で、入国審査に一番乗りする。おきまりの滞在日数などを聞かれた後、最近増えてきた日本人客への対応か「かんこ」とか言ってから、スタンプを押し通過する。
 荷物もスムーズに出てきて、それを抱えて税関審査に向かう。たぶん申告なしであろう緑ランプの方には係員がおらず、やむを得ず赤ランプの方に並ぶと、しばらくして、事前審査の係員らしい人がやってくる。ここで簡単に、タンザニアが初めであることと観光旅行であることを確認すると、緑ランプの方を抜けて行けと言う。荷物は見ることもなく、すんなり、税関もパスしたことになった。
 税関の出口は、まるで、出国時のセキュリティーチェックかと思うほどの狭いドアがあり、その向こうが下界とも言いたくなるタンザニアになる。ガイドとドライバーが待っていた。開口一番が「ずいぶんかかりましたね」だった。16時の予定だから、4時間は待っていたことになる。もちろん飛行機が着かなければ、着く筈のない客だから気を揉むことのないだろうが、連絡の悪い事も確からしい。この後のエチオピア航空の対応を見ると、何時頃到着するなどの連絡は皆無であったかも知れない。紹介されたドライバートムは、もの静かで、日本語など、まるで出来ない風であった。
 挨拶もそこそこに、ホテルに向かう。なにせ、9時近い時間で、ホテルには夕食も待たせてある。ほとんど灯りのない道路を30分ほどでホテルに着く。道路脇すぐに、ホテルの門があり、すぐに門番がゲートを開けてくれた。そこから100mほど入って駐車場に着くと、こんもりとした生け垣があり、一人で歩く程度、ちょうど日本風とでも言う広さの敷石を歩いてフロントに着く。フロントとは言っても、オープンな作りになっていて、屋根はあるが、玄関はない。何個かの椅子とテーブルがあり、一番手前のカウンターがフロントになっていた。
 さっそく手続きを済ませて、部屋に向かう。一番奥に部屋、部屋と言うよりロッジの名に似つかわしい小屋風の作りになっており、コの時型に2つの部屋があって、その中間にテーブルと椅子があってのんびりできるようになっている。部屋の中はベッドが二つにシャワーとトイレ、さすがにバスタブはないが、マット型の蚊取り線香がおいてあった。ただし、それではなく、持ってきた蚊取り線香を使った。暑くもなく、虫の気配もそれほどはせず、特に蚊に悩まされることもなかった。
 部屋に入る時に、夕食があるとガイドの宮城さんに言われたが、飛行機での夕食も食べているし、約30時間近く寝たり食べたりの状態を繰り返しているので、さほどに食欲はない。お腹が空いているようでありながら、なんとなく食べたくない感じ、と言ったら、吉田さんも、そのとおりだと言う。ただし、彼は寝る前のビールタイムが必要なので、レストランに行くと言う。それに宮城さんは夕食を食べていない。我々は遠慮すると言ったものの、食べ物ではない何かを損するような気がして出かけて行った。
 レストランは、オープンスペースではなく、ちょっと奥まった部屋の中になっていた。既に3人揃っており、我々が行くと、せっかくだから食べたらと言う。スープくらいはのつもりで食べ初め、結局、デザートは遠慮したものの、それなりに食べてしまった。この時に、しばらく話をしていて、今回の旅行の主要な参加者全員の雰囲気がつかめたのが収穫だったように思う。部屋に戻ってシャワーを浴び、蚊取り線香を付けて寝た。

4月26日

07:00-08:00 B
08:30-13:30 ロッジ〜両替〜土産物屋〜タランギレ
14:00-15:00 L
15:30-18:00 サファリ
19:00-20:00 D

 ホテルに動物園があること、夜中に鳥たちが結構うるさいことを聞いていたが、2時か3時頃にギャーギャーと鳥とも動物ともつかない声が聞こえたくらいで、さほどにうるさい状況ではなかった。5時頃には目が覚め、薄暗い中で、ドアを開けると、ダチョウがいて、シマウマがいて、多数の鳥達が飛び交っていた。中心に池があって、向こう川は塀、こちら側は土手になっていて、動物園であることを思い出した。
 6時になって、モーニングコールのおじさんがドアを叩きに来た。それと同時に昨日オーダーしておいたコーヒーと紅茶がテーブルの上に置かれた。これは特別注文ではなく、アフリカでは付き物らしい。サービスが良いというよりは、ここ100年程度のヨーロッパ人とアフリカ人の関係がそうさせているのかも知れない。それにしてもちょっと飲むには十分過ぎる量である。一日目の朝は、ベランダ、正確にはベランダではないが、動物園の土手があって、手擦があるのでベランダに近い。そこでのティータイム、シマウマとダチョウで始まった。
 7時に朝食に向かう。吉田さんを誘ってレストランに向かうと、宮城さんは既に来ていた。ちょっと太ってはいるが、可愛らしい感じのウエイトレスが注文を取ろうするが、それ以前に宮城さんの解説が入る。タンザニアの卵は、なぜか黄身まで白い、だからスクランブルとか目玉焼きよりはオムレツの方が良い、との事。なぜ白いと駄目なのか分からないが、卵料理はオムレツになる。ごく普通の朝食になり、パンを含めて、なかなかの出来、タンザニアの食事に良い予感がした。
 レストランを出て部屋に戻るまで、のんびり歩いた。部屋に戻るだけの一瞬だが、この後、これほどすらのんびりすることが少ないので貴重な時間になった。火炎樹と言う赤い花があり、やがて実をつけ、それを摺り潰した液には、強い麻薬作用があるとのことだった。部屋の前では掃除のおじさんが雑巾で掃除をしている。モップと同じ動作を腰を曲げただけでやっているのだが、さほどに苦しそうではない。そのおじさんと記念撮影する。
 道路まで下り坂で、門はまるで別荘かと思うほどのサイズでしかない。ノボテルマウントメルーよりは遥かに小さいようだが、果たしてどの程度の収容人員があったのだろうか。レストランが2〜30名用に見えたので、部屋数も10くらいのものだろう。門を抜けて道路に出る。並木道になっているが、ようやく片側1車線の幅しかないので、日本のものと変わりがない。車は滅多に通らない程度に通っており、家や建物は目立たないが、その割りに人が大勢歩いている。
 こんもりした並木道で、ときおり、その向こうに田圃や畑が見えた。畑はコーヒーやとうもろこしが多い。30分ほどでアルーシャの町に入る。タンザニア第2の町と言うが、本当だろうか、ダレスサラムはともかく、ザンジバルよりも大きいのだろうか。建物はせいぜい2階建て、通りに面した所ではブロック作りらしい建物が続いているが、緑も多く、都会という感じはしない。田舎町の範疇を越えてはいないと思う。町の中心らしい所に塔あり、アフリカの中心だとの説明があった。東の端のタンザニアの、北の外れのアルーシャになぜ中心があるのか不思議だ。
 昨日、宮城さんから枕銭用の400シリングを含め1000シリングを借りたが、ここで本格的に両替することになる。どうやら1軒目の両替屋は休みのようで、2軒目に向かう。公的機関のようだが、銀行と言うような規模ではない。ドアを入ると、5〜6人くらいが待てるスペースがあり、カウンター越しに係員がいる。ガラスの部分が多いが、見渡しやすくしているのだろうか、昔は闇レートがかなり良かったようだが、今はそんなことはないらしい。二人で100ドル、66000シリングになる。1シリング約0.2円でいいだろう。
 両替を悦子に任せて、ドアの外に出る。ガラス越しのドアの向こうは町。いきなり3人くらいの男がやってきて、新聞やら地図やらスワヒリ語の辞典を買えと言う。全て英語なので断るのだが、なかなか離れようとはしない。そのうち子供たちも2〜3人やってきて、甘いもの、あるいはペンをくれと言う。残念ながらただあげる訳にはいかない。あまいものはともかく、ペンについては、たぶん紙が手に入らないだろう彼らにペンをあげたとしても、横流しされて、ちょっとした小遣い稼ぎになるだけに思う。
 町の風景とビデオに撮るにも、そういったとりまきがうるさい。その男達や子供と一緒にビデオを撮りながら、頃合いを見て両替屋の中に入る。観光客にとって、ドア1枚隔てたちょっと豪華な空間は聖域になる。物売りは決して入ろうとはしない。昔、金谷ホテルの庭にさえ入れなったのと同じ事が、ここにもある。
 両替を済ませるとアルーシャの町を抜けてタランギレに向かった。町の中心部はせいぜい1kmくらいで、中央の舗装道路と十分な空間をおいて建物がある。脇道にも店は連なっているようなので、奥行きも相当ありそうだった。町を抜けきらずに畑が目立つようになって、また別の一角がある。博物館だろうか、学校だろうかと思うほどの大きさと、厳重とまでは言わないものの十分な柵に囲まれた部分は、土産物屋だった。その1軒目は休みで2軒目に入る。帰りにも通るので、あくまでも下見と言うことにする。
 店には門があり、門番がいる。両替屋と同様、村人は入って来ない。この聖域では100ドル200ドルといった、町では滅多に見ない買い物がゴロゴロしている。この店のとなりにtingatingaの店がある。ジャフリさんと言う有名な画家の店で、絵は面白かったが、値段もはる。約150ドル、ここも値段を確認した下見にしておいてタランギレに向かった。
 アルーシャから約1時間、時速100kmくらいの感じで飛ばしていた。抜かれもしないが、追い付きもしない。対向車も何台かというほどで、道はほぼ真っすぐ。ただ、のっぺりした平地ではなく、なだらかな平坦地とでも言えば良いのか、大きな起伏になっている。高原の台地といえば近いだろうか、遠くに小高い山も見えるが、期待していたメルー山は、最後まで裾野しか見せてくれなかった。しばらく進んで大地溝帯のへりを見た直後に舗装道路とはお別れになった。
 途中2個所に町らしい所がある。集落と言った方があっているようだ。最初の所では、トム氏が何かの用足し、確か歯磨きを忘れたとか言っていたように思うが、その為に5分ほど停車したのだが、それでも、車のまわりには人だかりが出来た。ビーズをつかったマサイウオッチやら首飾りなどを売っている。たぶん土産物屋に卸す時の倍くらいでは売れるのだろう、彼らも必死で車の窓越しに品物を渡そうとする。品物を受け取ってもいらないと言えば済む程度のしつこさのせいか、ペンダントを一つ買った。100円くらいだろう。
 次の町ではマーケットがあり、そこで、果物類を物色、と言うより、町のマーケット見学と写真撮りをする。マサイは写真を撮ると怒るよとの話も、どちらかと言うと、それなりのシチュエーションがあって、その人物がモデルとして明らかに特定できる場合を差すようだ。これは、ある意味では世界共通と言っても良い感覚ではなかろうか。自分が大写しになっていたら、やはり肖像権くらいは主張したくなる。彼らは目が良いので、それが分かるだけに怒るという結果が出てくる。このマーケットでもバナナを買ってから記念に一緒に写真を撮ったが、おばさんご機嫌で一緒に写ってくれた。
 砂利を敷いてないカットしただけの土の道を、しばらく進むとゲートがある。飛び越えられそなゲートと土産物も売っている事務所建物があり、少し離れた所にトイレもあった。正式にはこのゲートを抜けるのですよといった感じで、まわりには何もなく、ゲートの外側に柵がある訳でもない。トイレの脇を歩いて進めば、無断入場も可能だが、肉食獣も多いのでマサイ以外は止めておいた方が賢明だろう。それに一応機関銃を持った兵士もいる。この兵士、土産を買う手伝いなどしてくれたから、兵士のような警備員かも知れない。軍服だから、警備員のような兵士か。
 タランギレへの入園となる。入園手続きはドライバーの仕事のようだ。たぶん、欧米系の客の場合はドライバーだけで対応するのだろう。そのケースの方が多いせいか、なんとなくガイドの仕事に見える。ゲートを過ぎるとすぐにキリンがいる。網目模様が木の葉状に乱れているマサイキリンで、ケニアの北部を除いて、日本の動物園でよく見られる網目キリンはいないそうである。全行程の中でも最も見るチャンスの多いキリンだが、まだまだキリンでアフリカを感じていた。
 それから30分ほど、1時にタランギレのロッジに着く。これが、隠すようには作っていないのだが、直前になるまで見えない。数少ない道路で道に迷うようなことは少ないのだろうが、自分なら、ここにたどりつけないだろうと思うほどに、当たり前のサファリの景色に続いてロッジがある。ちょっとした駐車スペースがあって、一番手前がバーになっている、土産物屋があり、フロントがあって、右側がレストラン、左側にプール、その両側奥がテントになっている。テントは片側15棟くらいだから30棟、60人くらいのキャパだろうか。ヨーロッパ人らしい10人ほどの子連れの集団がプールで泳いでいた。
 我々はプールの奥のテントに入る。印南、吉田、宮城の順のテントだったが、宮城さんが、私のテントの目の前には木があるので交換しようと言う。面倒とも思ったが、好意であるし、そう言うだけのことがあるくらいに、そこからの景色は良かった。一度入ったテントから鞄を出して、引っ越しする。既に置かれていたスーツケースを宮城さんがヤッコラと運ぶことになる。
 このロッジはちょっと変わったパターンの建物である。ベッドを置いた寝室部分がテントになっていて、前後をチャックで留める形になっている。入る時はチャックを開け、締めても鍵は掛からない。通風口とも言える網戸窓が1方に2つづつあり、それぞれ、外布と同じもので下から締められるようになっている。ナイフで切れば切れてしまいそうだが、軟弱なナイフでは刃が立たないくらい頑丈な布ではある。チャックを開けて後ろ側に出ると、トイレとシャワーと洗面台がある。この部分はコンクリートの作り付けになっていて、しっかりできているが、海水浴場のシャワーのような構造で、言わば屋外になる。簡単な机と椅子、テレビ台のようなハンガー兼用の台が一つ、電灯が4個。ペリネよりは立派、という程度。けれど、ここの最大の魅力は、やはりテントの前の景色だろうか、草原に木立がちょうど良く模様になっていて、川がある。それをテントの前の椅子に座って眺めていれば、それだけでいいかも知れない。
 1時半にレストランに向かう。ところが、ちょうど川を見下ろす丘の上にできたホテルで、レストランの前は広場になっていて、10個ほどのテーブルと椅子で休めるようになっている。低い石積みの向こうはコースになっていないゴルフ場とでも言うか、草原に適度に散らばった木立で、まるで手入れしたような庭である。それがあまりに広いので自然だと思い起こす。もともと遅いのだが、そこで写真を撮ったりしているうちに、さらに遅くなってしまった。
 円形のレストランで半円のそとがわにテーブルが10個ほど置いてある。残り半分はバイキングの食材置き場になっているが、ランチのせいか、空いているせいか、ガランとしている。このレストランきれいな円錐系の屋根があるが、側壁が厨房方面の半分しかない。テーブル側には柱はあるが、壁がなく、蚊帳になっている。せっかくだから、それさえ外してしまえば、さきの景色が見えるのだが、やはり虫の大群には勝てないのかも知れない。
 フランス人らしい1組がいただけで閑散としている。飲み物の注文をして、ランチのサービスが始まるが、それもスープだけで、メインはビュッフェとなる。さほどに腹も空いてないので、軽く食べる。この後もずっとそうだったが、最後のコーヒー紅茶は、どんな場合にもセルフである。しかもコーヒーはインスタントのアフリカフェに決まっている。ミルクまで暖めてあるのに、どうしてコーヒーが入れられないのと思うのだが、ここではインスタントの方が高級であるとのことだった。
 食事を終えて、宮城さんの提案により、私達の部屋と反対側の方に見学にいった。猿とかが、そちらの方が見られることが多いらしい。ほぼ同じ作りの部屋が同じくらい並んでいる。2〜3部屋には人もいて、のんびり本など読んでいた。こういったアフリカを想定していたのだが、プールに入る暇さえない。食事の後のわずかな時間の散策すら、ほとんどできない状況をこの時には想像すらしていなかった。
 この反対側には、鳥と栗鼠がいた。われわれの方にもいたのだが、食事の後で、パンくずなど持っていたから、鳥も栗鼠も大歓迎で寄ってくる。5分ほどするうちには、手から食べるようになっていた。ここでのサファリは3時半から6時半になっており、その3時半に近づいていたので、慌てて部屋に戻り準備をして、3時半出発、まずはアフリカのサファリである。前にも後ろにも車はいない。ここでは、いわゆるジープ用のトレイルを通るのだが、これを外れたら、多分、深みにはまると言う意味でのトレイルである。
 まずは、草原を切り払っただけの飛行場に出る。セスナ用だが、さほどに使われた形跡はない。インパラがいた。草原のバオバブ林を過ぎると、川にえぐられた丘状の所にでる。もちろん草が背丈ほどあるので、きりんや象以外はなかなかみつからない。川べりに出ると、1台のサファリカーがいたが、この日出会った唯一のお仲間である。川の向こうに象がいる。ただ、遠くて小さい。ここは象の群れがいるので有名らしいのだが、遠い象は1頭だ。そのうち、川原をハイエナが歩いていくのが見えた。小さくて写真に撮るのも難しい状態だが、初めてだから注目が集まる。
 その近くで、黄色と赤の目立つ鳥がいたので、それを撮影した後、上流に向かってしばらく進む、川岸に近づくと象の群れがいた。河原に5〜6頭、既に川べりに登ってしまったのが、2〜3頭。かなり距離があり、近づくことにした。ところが、象がそれを望んでいないと言うか、もう帰る時間なのか、その近くに行ったときには、裳抜けの空状態で、遥か遠くの山の方に群れは移動していた。体は大きいが、すばしこい。その速さを実感する出来事がすぐに起きた。
 その河原を離れて5分もしないうちに象2頭と遭遇する。10mほどの距離にいる象は、こちらをときどき睨みながらも草を食べていた。停車するとエンジンを止めて撮影のサポートをするジープも、このときばかりは、一端止めたもののすぐ回した。どうも象の様子がおかしいらしい。言われて見れば、象の気が立っている感じがする。そのうちに2、3度体をブルブルと動かし、ジープとは反対側に突進した。ほんの20mくらいで、こちらに対する威嚇の意味だったのだろう。ただ、そのスピードと瞬発力はすごいもので、ジープを攻撃するつもりがあれば、まず間違いなく逃げられない。
 この象は、ドライバーにとっても、いつもと違っていたらしく、かなりいらついていたらしい。この日はツエツエバエ予防に蚊取り線香を焚いており、それが、いつもとの違いだったから、それが原因ということになった。雨期のタランギレ、数少ない蚊取り線香をご奉仕したつもりだったのに。ただ、本当にそうなのかどうかは分からない。それに、客のまだ少ないタランギレでは、動物達がジープ馴れしていないのも事実のようだ。薄暗い茂みを抜けてホテルに向かう。どこにホテルがあるか見当がつかず、水のタンクを目の前に見つけて近いことを知る。このロッジもうまくできていると言うか、目立たない。茂みの中からぽっかりと浮かんできたようにホテルに着いた。
 荷物はほとんどの場合、ジープに積んでありるのだが、単にサファリに出る場合の荷物の処理に困った。2〜3時間のサファリに大きなバッグを持っていくのも邪魔になる。逆に中身を減らすにしても、入れておく場所がない。今回はジープに入り切りとの判断からリュックもウエストポーチも持ってこなかった。となると、欲しくなる。サファリを終えてホテルに着くと、うまいうまい具合にバーがあり、土産物屋があった。女性二人は買い物を始めたが、男の方はとりあえず部屋に荷物を置きにいった。
 部屋でざっとシャワーを浴びてから、土産物屋に行く。既に暗くなっていただ、店は8時くらいまではやっているようだ。女性達は、まだまだ買い物の途中で終わりそうもない。とりあえずリュックを欲しいのだが、安くて適当なものがない。ウエストポーチはあるが、これがどうも3年くらい置いてある感じに埃だらけになっていた。パッチワークの袋がある。ろうけつ染めのものなどいろいろあったが、なにせ自家発電の少ない照明でなかなか良く見えない、悩みながら結局、最初に見たものを買った。約1500円だった。
 買い物に時間を取られて、食事は8時からになった。5人分盛り合わせの前菜があり、スープがあり、メインまでサービスされるが、コーヒー紅茶とデザートはセルフサービスで取りに行く。デザートも何種類かあり、その選択を任せていると思えば、これも特に変なことではない。レストラン周りの蚊帳に蛍が留まっていた。タバコを吸いながら、これをビデオに撮りに行ったが、内側から良く見える光は、外からは見えない。それになぜかあちこち飛び回っていて、結局、外からの撮影は無理だった。
 9時半くらいになって部屋に戻る。これが、すごいの何のって、虫の大群。外灯もないので、点けておいた部屋の灯りが虫を呼び、大変な数になっていた。しかもでかい。密閉型のテントの意味を良く理解した訳だが、すでに遅い。とりあえず部屋前の電灯を消して、テントのジッパーを少し開け、忍び込むようにして部屋に入った。入ってからも、トイレに行くときなどは、慎重にせざるを得ない。それでもでっかいバッタが入り込んできた。吉田さんの奥さんは虫が大嫌いなようで、ワーとかギャーとか、「退けてー」、「取ってー」など、それからしばらくの間、大きな声がしていた。

4月27日

06:30-08:30 サファリ
09:00-09:30 B
09:45-13:45 ロッジ〜マサイの土産〜町の土産〜ホテル
14:00-15:00 L
15:15-19:00 サファリ
20:00-21:00 D

 一応、南半球、秋という季節はないものの、朝6時はまだ暗い。赤道付近であるから日照は6時から6時までと、かなり正確かも知れない。その6時に、モーニングコールを兼ねてコーヒー紅茶のサービスがある。薄明かり以前の状態、星が見えなくなった頃程度だろうか。コーヒー紅茶は相変わらず大量で、一つで十分な量が二つ用意される。のんびりコーヒータイムと洒落込みたいのだが、そんな余裕はなく、6時半の出発時間までに、私がやっと5分程度のコーヒータイムを確保しただけだった。朝食はかなり先になるので、昨日仕入れたモラードバナナの残りを食べる。一人1本づつあるので、朝飯前にはちょうど良い。
 それでも6時半にはすっかり明るくなってサファリに出発。いきなりきりんが出てきた。10羽ほどの鳥がたかっていて、たぶん虫を取っているのだろう。しばらくこちらの様子を見て、おもむろに遠ざかっていった。その後もきりんは多い。こちらをほとんど気にせずに食事を続けるきりんもいた。しばらくして象を見つける。川の対岸の中腹で草をはむ象が1頭、しからながらこれはかなり遠い、緑に埋もれた象という感じの写真を撮って先に進んだ。ガゼルもいたが、それより黄色い機織り鳥を見つけて、しばしの撮影タイムとなった。子育てをしているのか、頻繁に出入りし、その瞬間を撮影しようと10分ほどは粘っていた。
 その先は、かなりの悪路だった。あまりに酷い道なので、脇道に入ったりするのだが、最も酷い時には、藪の中に突っ込む感じだった。尾の長い鳥がいたが、これはなかなかうまく撮影ができない。その後、野原のような丘のような、川べりの平原の縁とも言うべきあたりを走ってホテルに戻る。木のてっぺんにとまったハゲタカ類以外には、あまり動物の気配もしなかった。桁違いに広いのだが、見た目日本庭園にも見えるタランギレの公園は、それだけでも十分見応えがあった。9時頃、ホテルに戻った。ここでも、庭をバックに写真を撮ったり、景色を眺めていると、しびれをきらせたレストランの職員が、我々を呼びにきた。あと15分で締めるとのことだった。
 食事はだいたいがビュッフェスタイルで、卵料理だけは注文に応じて持ってきてくれる。ここでも目玉焼きはあんまり白いので止めた方がよいと言われたが、白いだけなら問題ないような気もする。けれど、オムレツにした。オムレツにしても黄身の白さが分かる、全体に白い。黄色くふっくらとした黄身を理想としている我々にとって、これはやはり、何か悪くなっているのではと思わせる白さだ。それを知っているのでガイドも目玉は止めた方がよいと言っているのだろう。コーヒーは相変わらずアフリカフェとお湯である。
 食事も早々に10時にはホテルを出発した。また、すぐにきりんがいたが、このあたりになるとキリンはもう飽きた状態になっている。公園のゲートの塀の上に象の頭蓋骨が乗っていて、宮城さんが、大きすぎるのでハニカム構造になっていると説明してくれた。確かにハニカムになっていて、うまく出来ている。ゲートを過ぎてすぐにハイビスカスの原種らしい紫色の花の写真を撮る。吉田さんの奥さんのリクエストだが、このころになると、奥さんの方に調子が出てきたようで、花やろばの写真をバチバチ撮っていた。旦那の方が飽きれて・・プロなどと皮肉っていた。
 ハイビスカスの原種とは言うものの、ヒマラヤの芥子を鮮やかにしたような、清楚で綺麗な花で、ハイビスカスより遥かに品がある。むしろ芙蓉に近いのではないかと思った。その他に団子を串刺ししたようなサンフラワーとか茄子の原種、胡瓜の原種などもあった。ただし、それらは食べられないとのことだった。公園を出ると、マサイなど現地人の歩く姿も多少は見える。周りに畑が多くなり、マサイの生活も変わり行くのを感じる。
 途中でマサイのマーケットに寄った。道路脇の5mほどの部分に籠や鍋敷が並べてあり、マサイの奥さん連中が5人ほど、フリーマーケット風に売っている。少し寄ることにした。宮城さんが大型の買い物籠のようなもの、トムさんが小型の物入れ、我々は鍋敷きとマサイの水筒を買った。製造直販だから、ほぼ原価。鍋敷きが100円、水筒が400円程度である。我々が物色を始めると、周りから子供たちが集まってきて、すぐに10人くらいになった。ビデオを覗いたり、ペンをくれと言ったりしていたが、それを良いことに一緒にビデオに納まったりした。
 すると、そのうちマサイのあんちゃん風の男が来て、写真代をよこせと言うような素振りとする。我々も分からない振りをして、宮城さんに交渉依頼する。このときは、ご本尊と言うか、当事者であるマサイのおばちゃんが了解し、一緒に写真を撮ろうと言う。結局、あんちゃんは何の関係もなく言うことを聞く必要もないと無視されることになった。道理も道理だが、おばちゃんの方が格が上と言う点、ちょっと嬉しい。ただ、おばちゃんの中にも、やはり写真は嫌だと言う人もおり、そのうちの一人はカメラを向けると隠れてしまった。もちろん、その人を主体に撮るような失礼はしなかったつもりだ。
 買い物を済ませて、タランギレを抜けマニアラ湖に向かう。砂利道を離れて舗装道路に入った途端にまた砂利道になる。これが半端な砂利道ではない。正確には砂利ではなく、泥道、一部は川のようになっていた。雨が降っている様子はないのだが、やはり集中的に降るのだろうか、それに、遠くに見える大地溝帯の崖の上からは滝が流れ落ちている。マニアラ湖のほとりでもある。茶色に固まった土の上を走るのだが、いくら車通りが少ないとは言え、平らなままでいるはずもない。時に水たまりが出来て、そこをむりやり通る車が、泥をかきあげ、深みを作っていく。その積み重ねで、どこを走ればスタックしないか、ドライバーの腕にかかっているようだ。同じA&Kの車と行き合う。ドライバー同士は無線で連絡を取り合っている。そこに乗り合わせた日本人カップルの男が「すごいですよ」と一言残していった。
 しばらくすると、町に入る。さほどに大きい町ではない。マサイブランケットを買いたいとの話から、この町に寄って買い物をしていくことにする。全体がぬかるんでいることもあり、路地を少し入った一角の店の前まで車で入ると、いきなり大勢のあんちゃん達が集まってきた。最初は何のことか分からなかったが、これが全員、どこでも構わない売り子になる。とにかく、店の近くにいる観光客らしい人間を見つけると、店のものを取って、広げて客に買わせる。これでなにがしかの報酬を得るようだが、こちらは店とは関係なさそうな、と言うより、店の規模に比べて多過ぎる売り子に動揺して、初めのうちは、どうしたらよいのか面食らってしまった。あまりに多すぎる売り子に店の人が怒り出す始末だったが、なんとか1枚のブランケットを買って引き上げることになった。この間15分程度だが、何人の人に手を引かれ、物をもたされ、断り続けたか、見当がつかない。ただし、異常にしつこいが悪人はいない。
 この町を過ぎるとすぐ大地溝帯のへりになり、上り坂になる。ホテルはそのへりの頂上にある。すぐにマニアラ湖国立公園の入り口が見えるのだが、頂上のホテルまで、まだしばらくかかる。この上り坂がかなりの曲者で、一昔前の林道、人の頭、ものによっては象の頭くらいの石がある。これまで来た道ど同じような土の道は、雨に流されて河原状態、これを30分くらい登る。頂上付近に道路工事用の車両が2台あり、その2台とも仕事はしていなかったが、平らで水が流れないせいか、それまでよりはましな状態がしばらく続く。
 この頂上にも町がある。ごっそりとえぐられてしまって本来の道路部分をそっくり避けなければ通れないような道路の両側に100軒ほどの家があり、まばらに人がいる。ネオンサインのような羽でな看板はディスコかペンションか、マニアラ湖という観光資源を意識した商売人もいるようだ。申し訳程度に物を並べた土産物屋や、ミシン一つの裁縫屋さんも見えた。賑わいは感じられないが、ちょっとだけ裕福な感じがした。
 その町をゆっくり抜けて、また多少登り坂になりホテルに着く。今回の旅行で唯一ホテルの名を持った宿泊施設。多少の期待をもってロビーに入ると、さすがに昨日のタランギレとは出来が違う。ロビーもそれなりの広さがあり、レストランはバーと言うかどりんぐコーナーを越えた向こうにガラス越しにあるので、良く見えない。ウエルカムドリンクのサービスがあった。その脇で、我々の様子をじっとみている身綺麗と言うより制服だろうか、の女性がいた。食事の後に、売店に誘われ、その売り子と分かる。閑散期の数少ない客に多少の期待はあったのだろう。
 キーを渡されて部屋に向かう。これが、行けども行けども到着しない。ホテルの端まで行って2階に登り、バブーンがくるので、絶対に窓は開けないこととの注意を受けてから部屋に入る。例の如く、お湯のチェックをすると、お湯どころか水も出ない。3部屋続きで取ってあるので、周りの部屋を確認に行くと、やはり出ない。ミネラルウオータでうがいだけはしたが、顔も洗えず、しかたなく食事に向かった。ここで部屋交換の提案があった。ロビーから急いで歩けば3分くらいだが、やはり一番奥で遠い。これはたぶん宮城さんの確認だったのだろうが、奥でも一番見晴らしの良い部屋とのことで、移動はしないことになった。それに水の件は、ホテル全体が断水しており原因究明中とのこと、これは部屋を変わっても仕方がない。
 食事が始まったのが1時半。時間の遅いせいだけではなく客そのものがいないらしいレストランに入って行くと、ウエイトレスが一人、ウエイターが3人での対応となる。ホテルらしく全てサービスされる。それにメインは4種類からのチョイスだった。ラムとかチキン、ベジタリアンほとんどバラバラに注文し、食事の時にはカメラを持ってくるようにと助言があるくらいの見晴らしをほとんど意識せずに食事が終わる。ここでもコーヒー紅茶の類は別室でのセルフサービスである。もちろんレストランに持ち込んでも良いようだが、私には禁煙席より屋外の方がありがたい。
 マニアラ湖を下に見る崖っぷちのホテルで、それを意識した部屋やレストランは、それなりに見晴らしが良い。ただし、マニアラ湖が雨期でまっ茶色であること、雨期とは言え雨上がりではないので空気の透明感はなく、遠景はさすがに霞んでしまう。それより、庭の草花が見事だった。大きな木も生えていて芝生の最良の状態。プールに入るにはちょっと気温が低い感じだが、それより3時15分のサファリ出発時間までにあまり時間がなかった。この3時15分はトムさんの提案である。もっとゆっくりしますかと宮城さんの話もあったが、公園の開場が3時半であることを意識してのドライバーの提案は、こちらの意気込みを示す意味でも遅くする訳にはいかなかった。
 庭を見て、部屋に戻ると水が出るようになっていた。顔を洗う程度、ほとんどそのままにサファリに出発するのだが、こんもりした中庭を抜けて、玄関前に着いているジープに向かう。庭は雑木林風に手入れされているとでも言うのだろうか、キチンとした西洋風ではなく、隅々まで手入れされている訳でもなく、さりとて野放しでは決してないと言う感じ。遠くに花壇があり、そこで記念撮影することになったが、どうも良く見る花なので、むしろ玄関前が良いように思えた。トムさんを入れて記念撮影。
 3時15分を少し遅れて出発する。またあの酷い道を行くのかと思うといい感じはしない。ホテルを出てすぐにバブーンが電柱の上に乗っていた。吉田夫人が餌をやりたいとの話をすると、結果、とんでもないとの返事だった。残りのバナナを投げ捨てるのも止めて欲しいとのこと。このバブーンには相当に悩まされているのだろう。日光の猿のことを思うと当然で、石を投げても餌は投げない。それに顔がちょっと黒くてとんがっているが、大きさ形は日本猿にそっくりだ。
 しばらく我慢しなければならないと思った悪路も、覚悟を決めていると、さほどに長い距離ではなかった。30分までは掛からなかったかも知れない。ゲートで手続きの最中に再度ガイドブックを購入する。ところが、ここのはタランギレよりさらに1000シリング安く、バッチに至っては半額近いものだった。売り子の気が変わらないうちに買ってしまおうなどと言いながら、本とバッチを2個買った。ゲートを抜けると、ずっと崖のへり、その裾野を走る。トレイルは決まっていて、タランギレよりジャングル状態なので裕度はない。まず、バブーンの群れに会う。大きいの中くらいのと赤ん坊と揃っている。それぞれに毛繕いなどしていた。
 そのすぐ後で、吉田夫人がブルーモンキーを見つける。ドライバーと違って、見つけるだけが仕事だから、見つけても別に変ではないが、大したものだ。この猿は滅多に見られないとのことだった。写真もビデオも撮ったものの、木の上にたかっているブルーモンキーは逆光に近く、綺麗に色が出るような撮り方はできなかった。その後、しばらくは、その森の中を進む。崖のへりを通っているので、ちょうどホテルの真下も通る。なかなかすごいロケーションにホテルを作ったものだ。そのへりを離れて平地の方に入ると、ときおり、広場程度の平地がある。せいぜい大きくても野球が出来る程度だろうか、その周りはこんもりした林になっているので動物達も比較的に過ごし易いのかも知れない。そんな話をしていると、森が好都合なのは肉食重で草食獣は平地を好むそうだ。そう言えば草は平地の方が生える訳だし、見通しの良い方が安全だ。
 その平地にはシマウマやヌーやイボイノシシなどがいる。ヌーの子供が倒れていた。倒れたばかりらしい、そのヌーはドライバーによれば、病気でまだ生きているとのこと。じっと見ると確かに息をしていた。そのうち、ぶるっと首を振ったりしたが、それまでで、後は身動き出来ないようだった。たぶん数時間、場合によってはもっと早く、何かに食われてしまうだろう。可哀相になどと言ってもみるが、ここでは何もしてはいけない、弱いものは食われるのである。
 この途中に鳥で一騒動があった。近くの木にとまった鳥が綺麗なので、十分に写真を撮ってから、今度は飛び立つシーンを納めたいとしばらく待つことにした。ところが、待っているとなかなか飛ばないもので、5分くらい構えた手が持たなくなって、もう止めようと全員が構えを止めた途端、その動きにつられたのか飛び立った。こんなものだとがっかりしながら、全員が一斉に動いたのだから、当然だったかも知れない。
 かばプールに向かう。ところが、マニアラ湖がいつもより遥かに広くなってしまっており、プールらしいたまり場がなくなってしまったとのこと。湖水の近くまで行くと、遥か遠くにかばがいる。2〜300m離れているにも関わらず、かばの声は響く。良く見ると、全部で2〜30頭はいるようだった。ただし、ほとんど水の中なので写真も撮れない。1kmほどさきに木にごま塩を振ったような点々は全て水鳥らしかった。で、そこがいつもの湖の縁とのことで、トムさんも長いドライバー生活の中で、これだけ水が多いのも初めてだと言っていた。通常は下車できないサファリで、ここだけは約20分間下車しての見学となった。鳥がたくさんいたが、もちろん覚えてはいない。
 水辺を離れると、今度は小さなシマウマの集団がいる。虫取りの為らしいでんぐりがえしをしていた。そのすぐ近くにマングースがいた。さほど珍しくなくなったシマウマだが、そのでんぐりがえしとマングースの写真撮りをしばらくやっていた。ここでは多少前後にジープが来た。さすがにタランギレよりはウゴロンゴロとかの通り道であるだけに旅行者は多いようだ。それでも、せいぜい2〜3台だろう。とうとうライオンは見つからず、帰り足になる。言わば門限の6時半が近い。その帰り足でキリンの親子に出会った。ちょうど我々の通り道を横切るように親は通り過ぎたが、子供が行き損なって、もじもじしている。一端親が戻って、子供をつれて道路を遠巻きに渡っていった。
 その後すぐに象に会う。門限破りに近い状態だが、これを見逃す訳にはいかない。きりんと同様に道路を渡るところで、我々が気になるのか、先頭の象が威嚇らしい鳴き声をあげていた。それが通り過ぎたころは、既に真っ暗。それでも公園内の規則らしく、ヘッドライトは点けない。ゲートを通り過ぎたのが6時50分頃、やっとライトを点けてホテルに直行した。一度通っているせいか、比較的短く感じた。途中で頭に桶を背負って水運びする地元の子供達にあった。ホテルのあたりに水道があるようだ。真っ暗な中でたぶん1km以上の道のりを水を運ぶ訳だが、蛇口をひねると水の出るホテルが別世界であることを改めて感じた。
 ホテルに着いたのが7時過ぎ、8時の夕食にしてシャワータイムとなる。ここには湯舟もあった。例のごとく、のんびりできそうでできない。確かに30分たらずではシャンプーしてブローするだけでも大変だ。宮城さんは、その辺を省略して食事の後にしたようだが、こちらはそうも言ってられない。なにしろ、食事の時間がかなりかかるし、どちらかと言うとすぐに寝たい。睡眠は十分にとっているようだが、それにジープの中でも寝ているのだが、やはり疲れが溜ってきているようだ。
 と言う訳で、ブローの手伝いまでしたが、化粧の手伝いはできない。さきに行ってると8時にフロントに行くと、宮城さんはいたものの、悦子が5分遅れ、吉田夫婦は10分遅れとなった。やはり、シャワータイムは1時間以上必要だろう。レストランにいくと、5つくらいのテーブルに客がいた。それでもキャパの10〜15%程度の入りとでもいうのだろうか、かなり余裕がある。昼食と同様にメインはチョイスできるのだが、これがどういう訳が、お昼と同じメニュー、前菜とデザートは変わるが、後は同じ。それはないんじゃないのと言いたいが、やはり閑散期だからとか、お昼が遅かったので、あれがディナーのメニューだったとか、いろいろ話は出たものの、致命的な問題ではないし、選択を変えることで対処した。
 約1時間の食事時間が過ぎて、コーヒータイムとする。レストラン入り口にあるバーにコーヒー類のサーバーがあり、セルフで対処する。私にとっても、喫煙タイムでもあるので半屋外のこの場所は、さほどに問題ではない。テーブルに椅子があるが、もう片付けてしまったと言う感じに椅子がテーブルにくっついているし、それに1時間以上も座った後なので、立っているのも苦にならない。そこでもまたコーヒーを飲みながら10分くらい話していたろうか、遅くなるからと部屋に戻り、グロッキー状態で睡眠。

4月28日

07:15ー08:00 B
08:00-11:00 マニヤラホテル〜象の壁掛け〜給油〜マサイブランケット〜ウゴロンゴロロッジ
11:45-13:00 ンゴロンゴロ〜川
13:00-13:45 BOX-L
13:45-18:05 川〜ライオン〜食われたシマウマ〜セレンゲティー
19:30-21:30 D

 昨日は早く寝てしまったので、5時には起きて準備を始める。たいした土産も買っていないが、確実に荷物は増えているし、入れ方が適当なせいか、いや適当でないせいか、鞄一つぶんくらい増えたように思う。それでも、全部の荷物をジープに積んで行くわけだから、根性入れて詰め込む必要がないだけ楽だ。6時には、ほんのり陽が差してくる。マニアラ湖も朝陽の中では茶色には見えない。朝焼けの雲を写真に撮ったりして、朝食時間を待った。
 7時15分に朝食。例のレストランに行くと、昨晩より多少客が増えたような感じだった。セルフサービスでジュースとパン類を取り、卵料理は注文して並ぶ、いつもと同じように、これとこれとと混ぜ物を注文するのだが、面倒だとばかり全部にした。次にランチボックスのチョイスがある。ジュース、チーズサンド、チキン、バナナなどなど結局はいつもと同じなのだが、一応、指を差して選択する。最後にセロテープで止めてくれるので、名前を書く。最後には宮城さんが全部を持って来たから、本来は自分で運ぶものかも知れない。
 8時にホテルを出発する。ホテル直後の街で、例の道とは言い難い道を走る。走ると言うレベルではなく、なんとか通り過ぎると言った方が良い。その街を過ぎて、すぐにトムさんが土産物屋に入る。ここは宮城さんとの調整が済んでいなかったようで、宮城さんが「あれあれ」と言うような表情をしていた。家1軒ほどの店で、所狭しと彫刻類が置いてある。ただ、どれもが、アルーシャの店よりちょっと格下品のようだったが、吉田さんがトムさんに気をきかせて、象の壁掛けを買うという。ちょっと気に入った感じもしたので、私もひとつ乗って、ねぎりに入った。結局3個35ドルになったが、いざ手にしてみると、どれもどこかに難がある。20個ほどの壁掛け全部をじっくり見る羽目になり、やっと決めた。その後、私は店を出て、外の景色を見ていたが、ここに椰子のようで椰子ではない。実が鈴なりになって地面に付き添うな植物を見ていた。これがパパイヤだそうだが、なんとなく納得しなかった。
 店には20分ほどいたろうか、しばらく高原らしい景色を進むとまた、町に出た。マニアラの町よりは、多少大きい感じがして、人通りも店の多い。この間にトムさんが無線で連絡を取っていたのだが、その説明がここであった。通常では、関係会社でもある各給油所で給油するのだが、今回は、その燃料が足りなくて給油が完了しなかったらしく、ここで補充していくとのことだった。給油所で給油していると、目聡く観光客を見つけた露店の土産物屋が寄ってくる。そこで、マサイブランケットの販売が始まった。何しろ、すき間のあいた車の窓から荷物を突っ込んでくる。だいたいの値段を聞くと、これが、今までのものよりさらに3割引状態で、ちょっと気を揉む。それを察知した彼らが、また別のものを突っ込んでくる。ブランケット1枚を買って終わりにしようとすると、また別の売り子が来る始末で、仕舞いにはスタンドの主人らしい人が怒り出すまでになった。
 そこで給油してからウゴロンゴロに向かう。どうやらジープのバンバー付近の取り付けに問題があり、ワイルドライフロッジで修理するらしい。ロッジには修理工場も給油所もあるというから大したものだが、ここでもサファリにジープが欠かせないだけにロッジとジープは付き物なのだろう。しばらくしてゲートがある。標高が高いだけではなく、まわりに鬱蒼と木が生えていて、霧が舞い、湿っていて、涼しい。ウゴロンゴロの火口のへりは標高が2500mというから、マニアラからさらに1000m近く登ることになる。途中でいろは坂並の登り坂になる。これが、ぬかるんだ泥道、デコボコ、ときおり雨に流された部分もある。上から見るだけだが、陶芸にふさわしいくらいの泥だから、かなり厳しい。
 そのうち、前にトラックが見えた。トムさんがあれはゲルバだという。このゲルバは道祖神が手配しているので宮城さんもちょっと気になったようだが、それより新田見が乗っている筈であるから、思いがけずに声をかけてしまった。トラックを止めて、新田見いるかと声をかけて、トラックのシートカバーをはずさせてから、しばらくして新田見が顔を出した。こちらが来ることは知らない筈なので、驚いたろうか。がんがんに賑やかな新田見がちょっと暗い顔をしていた。後から車がきて、元気でな程度の話で過ぎてしまったが、カールくらいは渡せばよかったろうかと思う。
 登り道になってからは、相変わらずの悪路で、スピードも出ないし、気を緩めると体の衝撃も結構きつい。いわゆる尾根に来てから20分近く走ったろうか、ようやく、ワイルドライフロッジに着いた。ここではジープの修理待ちなので、バルコニーに出てクレーター内部を眺めていると、係員が望遠鏡のシートを外してサイを探してくれた。ここは乱獲で姿を消したサイが見られるほとんど唯一の場所になっているらしい。サイを見て、ロビーに戻って、500シリングのコーヒーを飲む。30分くらいで終わる筈のトムさんがなかなか帰ってこない。宮城さんがコーヒーを持ったまま綺麗に磨かれたガラス戸にぶつかって、コーヒーをこぼした。その後、しっかりソファーに座って待っていたが、約1時間、11時出発となる。
 ロッジを過ぎると、ンゴロンゴロの外輪山のへりを降りることになり、どちらかというとスイス風とでもいうのか木よりも草が多く、なだらかな山が見える。マサイの放牧と村を横目に通り過ぎるころは、周りは黄色一面のお花畑になっていた。しばらくしてセレンゲティーの草原が見えてくる。ずっと下り坂で、そこもお花畑、黄色に淡い紫が混じり、マサイの放牧やキリンやシマウマの花に埋もれた食事風景があった。遥か遠くに霞んだセレンゲティーの対岸らしいものも見えた。それ以外のものは、ジープ1台すらない。セレンゲティーの道路は一応砂利道になっている。今までのことを考えると、舗装道路と言っても良いくらいである。その中を時速100kmくらいで走る。ときおり、インパラやシマウマの小さな群れがいるが、道路近くの何頭かが走り出す程度で、こちらも停車するようなことはなかった。
 そのまま、どう見ても同じような風景を走り続ける。道路脇には一応堀のように多少凹んでいる感じがあるが、わざわざ工事をしたとは思えない。道路脇には街路樹のように目立った植物が立っていた。人の背丈ほどで横に閑散とした広がりがあり、小さな栗のような実を付けていた。ただし、既に枯れているようだ。だだ広くて何も見えないのに、時折藪のようなものもある。雨が降ると川になるのだろうか、一段低くなった筋があり、その近くには木も生えている。そんな所を通り過ぎていると、急に本格的な川が出てきた。一応河原のように石が剥きだしになった部分もあり、ほんのちょっと小川程度に水も流れている。その両側には木もあり、サボテンもある。
 木も多く見通しが悪いとなると、言わばちょっと危険な場所のようにも思うのだが、そこで食事となる。公園内では食事をする場所は極限られている。ただセレンゲティーは広すぎるせいか制約のかなり少ない場所のようである。ジープで周りを見回して、一応ライオンあたりのいないのを確認して下車。ランチボックスを広げた。初めに座るのに適当な石など探したのだが、こぶし大の石ばかりでうまいのがない。草は芝生ほどには細かく生え切っていないので、草の上はちょっと無理。いっそ土の上へ座ろうかと思った頃になって、宮城さんがトムさんの了解を得て、ジープのクッションを出した。お尻を湿らすよりは格段に良いのでこれに座る。1個足りないのだが、それはトムさんがジープに座ることで解決する。
 コーラが1本づつ出る。これA&Kのサービスのようだが、二人1本で十分なので、かえって重荷になってきた。水も毎日一人1本出てくるので、この頃はバッグに予備が2本づつ入るようになっていた。コーラを飲んで、サンドイッチとゆで玉子は食べたが、ジュースは当然飲めない。お菓子類も敬遠となって、残りはトムさんの持ち帰りになる。これもトムさんとて重荷になったのかも知れない。ジュースなどはしばらくジープに乗っていた。
 もうちょっとのんびりしたいのだが、まだ先が長い事もあるし、トムさんはサファリをしたいようだ。朝早いいこともあって半分寝たい。それに食事の後くらいはちょっとのんびりしたかった。しかし、このあたりも全て運転手まかせ、食事の後に、10分に満たない程度で散歩するとかトイレを済ますとかして出発となる。ちょうど、その時フランス人らしい客を乗せたジープが通り過ぎた。この頃から、まわりに若干のジープが見えるようになる。しばらくして、ンゴロンゴロを終えてセレンゲティーに入る。とは言っても、草原の真っただ中のちょっとした木立に道路を区分するでけのゲートがあるだけ、まわりは同じような草原が続いていて、区別はできない。
 そこを過ぎるとちょっとした丘があり、その上に人が見えた。そこも見学場所になっているのだろう。我々は通り過ぎた。このあたりで道をそれ、草原の中に入った。サファリの始まりとでも言うのだろうか、我々の最初の獲物はハイエナだった。食事に邪魔が入ったと言う感じで、ハイエナは骨を加えて歩きだし、残っているらしい餌にハゲタカが集まっていた。ここでハイエナの撮影になったが、30cmほど背丈のある草原で半分ほどは埋まってしまっており、あまり良く見えない。ハゲタカ、ハイエナを過ぎて、今度は道の反対側を走る。テキサスの飛行場とでも言うのか、ときおりの段差はあるが、延々と続く草原、車も見えない。ダチョウやハイエナの親子が見えた。
 そのうちナービヒルと言うこの辺では一番大きな丘に上がる。なぜか、道路はこの丘目掛けて上がっていく。中腹にセレンゲティーの公園事務所があった。ここで、入園手続きをし、お土産の本などを見ていたが、ここは、特に高かった。他で4000シリングで売っていたものが、8000シリングにまでなっていた、結局遠慮する。帰りにマニアラ湖で買おうと言うことになる。そこでもゲルバがいた。新田見もいて、今度はいつものように元気だった。先ほどは寝起きでぼんやりしていたとのこと。以前とまったく変わらない新田見がいた。
 ゲルバを見送ってから、ナービを出て、またサファリになる。ヘビクイワシとかヌーの群れを見ていると、急にヌーの子供がジープに向かって走ってくるのが見えた。どうやら迷子になったらしい。それと、大きなもの動くジープが母親に見えるらしかった。ジープのそばまで、それこそ夢中になって走ってきて、タイヤのそばで途方にくれる。この母親は何もしてくれない。可哀相だがどうにもならない、やがて、とぼとぼと離れていったが、トムさんが言うには、そう長くはないだろうとのことだった。親とジープを間違えるような幼い子供が生きていける訳がない。
 草原を1時間くらいは走っていたようだ。ただ広いだけの草原だが、壮快だ。ジープから顔に風を受けながら、たまにはビデオの撮影をしながら、走っていた。こんな草原を走るだけでも十分にすら思えた。が、しばらくすると、やはり、それだけでは満足しない。なぜライオンはいないのか、などなどの疑問と期待が出てくる。大通りに戻ってしばらく走ると、またゲルバのトラックがいた。路肩に寄って車体を傾けており、何人かがカメラを構えていた。その横を通る過ぎて、前から見ると、食事を終えたライオンの群れが草原にすっぽり埋まっていた。5〜6頭だろうか、メスがほとんどで若い雄が1頭いたが、まだたてがみが揃っていない。それにしても初めてのライオンなので、意気揚々と写真を撮っていた。
 そのうちゲルバのトラックが走り去っていった。トラックがいるうちは遠慮していたのか、我々のジープは草原の中に入り、ライオンを間近に見ることになる。ライオンたちは慣れているのだろうが、それにしても2〜3mの所までジープがエンジンをかけて来るのだから、多少は耳障りになる。ときおりこちらをにらみ、それがシャッターチャンスになる。ただし、それがせいぜい3秒くらいである点、百獣の王たる所以かも知れない。大きさも色の形も王と言うほどのものとは思えない。むしろ間抜けなくらい驚かない感じが王なのかも知れない。象の方が大きく、風格もある。ただ、いらついた時には、もっときりきりと言う感じになる。その点、ライオンの方が上手かも知れない。
 その後、そのライオンの餌になったシマウマの残骸を見に行った。背中は残っていたが、おなかから見ると空っぽ。内蔵はきれいに無くなっている。肋骨から外側と肝臓だけが残っていた。たぶん、腹いっぱいになって放棄したのだろうとのこと。この後、ハイエナやハゲタカが食べて、全体に行き渡るのである。トムさんの言うには、既にハイエナは近くまで来ていてライオンの様子を見ているとのこと。まだ、下手げに手を出す状況ではないようだ。一応、ライオンを押さえたと言う感じでロッジに向かう。また、ゲルバのトラックに追い付き、宮城さんが写真を撮ると言うので、トラックの前になったり後ろになったりと、結局は満足な写真が撮れなかったようだ。このあたりになると、奇岩とまでは言わないものの、10m四方で高さも10mくらいのものから、大きいものになると100m四方に高さも2〜30mはありそうな岩が所々にある。その周辺には木も生えている。草原の中のアクセントで、かなり遠くからでも見える筈だが、見えていない。気が付いていなかった。そのくらい広いと言うことだろうか。
 ホテルの近くになってインパラの群れがいた。ただの群れ、ハレムならなんのことはなかったのだが、そこに、雄の群れが来て、ハレムのボスとの小競り合いがあった。喧嘩になる前の、双方のディスプレイ程度で終わってしまったが、その様子を見ていた。その後にハーティービーストと言う名の、ちょっと変わった鹿たちの群れがいる。 ハーティーは鹿のようなだろうか、ビーストは獣だから、言い方によっては「鹿のような悪魔」にもとれる。鹿獣くらいの意味なのかも知れないが、印象的なのは、体のアザである。アザと言うのがぴったりの模様がある。シマウマはシマウマなりの模様があり、ハーティー君にはそれなりの模様なのだろうが、どう見てもアザに見える。それがビーストの所以なのかも知れない。
 6時近くになってホテルに着く。このホテルがまたうまくできているように思えた。と言うのも、これだけの草原の中で2〜3階建てとは言え、目立たなかった。ずっと何もない草原でありながら、ホテルの直前になってから、見えてくる。そういえば、あちこちにあった岩も、あまり目立たなかったが、その岩に寄りそうように作られたホテルだから、目立たないのかも知れない。目立たないのではなく、広くて遠くて見えないだけかも知れない。
 ホテルに着くと、いきなりハイラックスが走り出す。女性陣は、トイレと同時に、それを追って、大騒ぎしていたが、それも一瞬だった。なにしろ、そこいら中にいる。餌を与えるのはもちろん禁止で、彼らにとって、このホテルは最高の住みかなのだろう。襲われることはまずない。その他に縞マングースや木登りハイラックス、これは同じものが木に登っているのではなく、登るものと登らない物とは全くの別物だそうが。それにしても「岩狸」という和名はあまりしっくりこない。
 部屋に案内されると、私達の部屋がダブルになっていて、即クレームを入れた。宮城さんの部屋がツインだったらしいので、それと交換でもよかったのだが、吉田さんたちはダブルが希望とのことで、そちらとの交換で一件落着となった。彼らはほとんど新婚には見えなかったが、この辺は新婚なのかも知れない。結婚して半月ほど経っているのだし、と思いながらも、我々よりは元気なようだ。ただし、部屋に入っても、お湯が出なかった。これもクレームを入れたが、ホテルの方では出ると言う。しばらく流していても、やはり出ない。そのうち、食事の時間になり、生暖かい程度のお湯でシャワーを浴びた。その後のホテルの説明でも、間違いなく出ると言うので、食事の後に期待した。
 7時にフロントで、バルーンサファリの予約に行く。予約は済んでいるので、支払いとでも言うのだろうか、例のごとく、何があっても文句は言わないという誓約書にサインさせられる。吉田氏が奥さんの分までサインしてしまって係員が「私は見ていない」と言っていたが、アメリカ流の考え方では、これはとんでもないことに違いない。ついでに私もサインしてしまった。これに一人350ドルを払う。ケニアより安いとは言え、大変な高額である。それでも、その分を別に用意してきたのだから、これは約束ごとかも知れない。さて、この係員、ここでの受け付けもやるが、移動のドライバーもバルーンの運転手も朝食の席でのキャプテン役も全てこなしてしまう。元アメリカ人、今はエジプト人らしく、バルーンは10年くらいやっているが、セレンゲティーは3月とのことだった。
 7時半に食事になる。このレストランはガイドブックにも乗っている有名なレストラン。岩の間をくぐり抜けるようにして行くと、バーとレストランの入り口は分かりづらかったが、一段下がった所にある。岩と岩の間とでも言うのか、そのくぼんだ部分の岩を削って階段にしており、両側の岩には、近くにあるらしい壁画のコピーが彫り込んであった。もちろん、その向かい側は普通のレストランに引けを取らないだけの、きちんとした木の壁があり、ガラス戸が入っている。夜は結構冷えるので高級ロッジとしては屋外にしておく訳にはいかない。それにバブーンやサバンナモンキーといった悪戯をする奴も多いらしい。夜は昆虫の嵐になるだろう。ハイラックスはあまりいたずらする様子はなさそうだ。
 2時間近くかかって食事を終え、帰り足に展望台に寄ることにした。バーの中を抜けて行くのだが、何も飲む気はない。このあたりは慣れていないとは言え、彼らが、それで収入を得ているのであろうことを考えると、やはり常識程度の注文はあっても良いのかも知れない。暗い中を通り過ぎると、何人かの人がいる。星が見えるが、星座の形が特定できなかった。部屋に戻って寝る。11時には消灯、自家発がとまる。朝5時までは蝋燭がたよりである。

4月29日

 5時に起きる、まだ真っ暗。荷物を簡単に片付けて、5時半にはロビーに出た。バルーンサファリの集合時間だ。ロビーにはケーキの片割れとコーヒー紅茶が用意してあり、これで簡単な朝食にする。バルーンサファリは豪華な朝食付きなので、あまり食べ過ぎないようにする。全員集まれば、すぐ出発する様子だったが、なかなか出発しない。どうやらゲルバからの参加者がなかなか来ないようで、それを待っているようだった。結局は、ゲルバ組は来ず、6時に出発した。バルーンの出発地点は、思いがけずに遠く、ジープで30分くらいかかる。真っ暗な中で道路を走っていたが、そのうちに脇道に入る。ゆっくりと明るくなる中で、割に近い所に象がいたりした。写真を撮ったりしたが、暗いのでほとんど写っていないだろう。ただし、薄暗い中で悠然と草を食べている象はなかなか見応えがあった。
 川と言うにはやっと流れている、あるいは流れていないくらいの川だが、その両側に大きな木が続いているので川岸かた思うようなところだが、ホテルから2〜3km離れた、川岸の一画でバルーン準備が始まっていた。籠が転がっていて、バルーンがつながっている。そこに扇風機で風を送りバルーンを膨らませている。まだ温風ではなく、風の勢いだけなので、しっかり地面に這ってはいるが、風の分、多少は膨らんでいる。スタッフは10名くらいだろうか、乗客とほぼ同じだ。ゲルバ組みはこちらに来ていた。通常、遅刻による欠席はなんの補償もされず、全額没収されるらしいので、宮城さんが可哀相にと嘆いていたが、こちらに来ている分には問題がない。そのくらいの連絡をすれば良いのだろうが、電話はなく、無線も万能ではないので、セレンゲティーでは連絡の難しさが最大の問題かも知れない。それが良いところかも知れないが。
 日本人9人にカナダ人3人の12人の組みとなった。日本人9人のうち、有料は8人だが、宮城さんが添乗員と言う訳ではなく、むしろ重し代わりに乗船する。すでに何回かは、おおかたは無料で乗ったようだ。9人からの日本人の団体となれば、ドライバーの方でも、英語が堪能とばかりは言えない日本人相手なので、ガイド兼務で乗せても、十分元が取れたかも知れない。乗り方などの説明をする。これが、結構厄介だ。横になった籠に潜り込むように乗り、寝転がる状態で、しばし待つ。首を籠に預けるようにだらんとさせないと、結構きつい。3人ボックス×4個なので、私達夫婦にもう1組みの片割れが乗った。その片割れ、首をだらんとさせなかったので、約5分ほどの待ち時間が耐えられず、半身になっていた。
 まるでロケットの噴射口を逆さにしたような温風の発生器、まるでではなく、内容としては、ロケットそのもの知れない。どういう操作をするのかは良く見えなかったが、点火させると偉い音がする。風船の膨らみ具合を見ながら何度か繰り替えすうち、風船が上に向かって上っていった。やがてゆっくりと立ち上がり、またしばらくして離陸する。ほとんど気が付かないうちにと言って良いだろう。ふわっとすらしない。エレベーターより衝撃が少ないと言って良いだろう。地上のスタッフが手を振る。我々も手を振り、10mから20mのところでバランスを取りながら、風に流されていった。
 風向きは西、バルーンは東に流されていった。私のボックスが西側だったので、初めは後ろ向き状態だった。籠は途中で一回転したが、前向きの状態になったのは一瞬だった。バルーンでも前向きの方が良さそうだ。インパラがいて、きりんがいた。動物類はあまり見えなかったが、それでも、ちょうど川沿いに東に流れていき、木立の上をぎりぎりにと降り抜けたりするときは、バルーンらしさを満喫できる。川岸を離陸点にしているも、やはりこの木立付近に動物が多いのだろう。動物が多くなくても、枝の先に振れそうになりながら通り抜けていく様は、お客も十分に満足するに違いない。予定の1時間はあっと言う間だった。遠くに見えた山が近づいてくる。無線交信を聞いていると、我々の着陸地点はマウントフジポイントと言うところらしい。ところが、どういう訳か、その近くに行ってから最高高度に上がった。まるで、その富士山を通り越してしまうのだろうかと思うようだったが、最高ポイントとの紹介の後、ゆっくりと高度を下げていった。ここで、一度着陸の準備に入る。カメラ、ビデオをしまって、床のスポンジ椅子に座ろうとした。なにしろ、このバルーンで怪我をする危険性のあるのは、着陸の時だけ、この着陸体勢の説明を聞いていなかったのでほおりだされた人もいると聞いた後なので、それだけは注意していた。それに、横倒しになって引きずられる状態は、ちょっと楽しみでもあった。だが、その楽しみがなくなってしまった。本日は極めて条件が良いので、セイフティーランディング、つまり倒れない着陸になってしまった。これも滅多にないことらしいので運が良いと言ってしまえばそれまでなのだが、ちょっぴり残念ではあった。
 離陸と同様に、ゆっくりと着陸した。これも腕といってしまえば良いのか、ちょうど道路の上、この上ない状態である。着陸しても、しばらくはそのままである。なにしろ、我々は大事な重り、すぐに降りる訳にはいかない。着陸時にはスタッフは到着しており、風の方向に、すぐさまバルーンを引き倒す。温風は既にとまっているものの、やはり13人を持ち上げていた風船は、なかなか地上に降りてこない。風船が倒れ、ワイヤーが倒れこんできてから下船となる。立っていると高さが1mはある籠なので、籠に付けられた踏み台替わりの穴に足をかけて降りる。スタッフがテーブルの上にナプキンをかけ、ワイングラスを並べて、高級そうなシャンペンを注いでいた。
 このシャンペンは飲み放題である。が、飲めない。私はジュースにした。一応みんなに行き渡り、乾杯の音頭をパイロットがとるのかなあと、思う間もなく飲み始まってしまって、ちょっとしまりなく乾杯になった。そのうちにゲルバの女性達が、なにやらひそひそ話を始める。聞こえるようにだからひそひそではないだが、結局、仲間にシャンペンを持って帰りたいとのこと。それ用の水筒まで持っている。スタッフに瓶ごと貰えないかと一応相談したあと、こではパイロットの判断だそうだが、あまり例がないとのことで、ゲルバもパイロットに聞くのを止めた。その上で、シャンペンを注いでもらって、水筒に移し替える作業を開始した。何人かが手伝ってあっと言う間に水筒はいっぱいになったようだ。籠とパイロットとの記念撮影を済ませ、路上に見えたライオンの足跡など眺めながら、今度は朝食は所へ移動する。
 着陸地点からジープで約30分のところにテーブルがセットされていた。草原で、かつ木が1本生えている。いわゆるセレンゲティーの見本のようなロケーションを選んでいる。テーブルまでの通路には手洗いのスタッフがいて、手を出すと銀製の水筒のようなものから水を出してくれる。この辺から、既に高級レストランなみになっている。テーブルのスタッフですら、今までのロッジにはない上品な制服を着ている。テーブルにつくと、ジュース、シャンペン類が勝手に飲めるようにテーブルに置いてある。取りあえずジュースを飲む。パンやケーキ果物類も綺麗にカットされていて、この辺も他より一段とレベルが高い。そのうちに近くのトラック厨房で料理されたメインディッシュが運ばれてくる。卵料理に、ソーセージ、野菜、これは夕食に使えるメニューだった。草原の中でディナー並の朝食、350ドルは高いが、滅多にない贅沢なら許されるかも知れない。その中でもセレンゲティーの草原が最大の贅沢だろうか。
 朝食を終えて、スタッフたちと記念撮影してから、またジープに乗ってホテルに戻る。川で全て兼務のドライバーがワニがいると知られてくれたが、これが、木の枝の向こう側で、しかも、ほとんど沈んでいるらしく、なかなか判明しない。どうせ良く見えないのだからいいやと言うことになり、出発すると、今後は間近にキリンがいた。ところが、このでっかいキリンに気が付いたのは客の方で、ドライバーが見逃していた。あまりに近かったのだろうか。
 ホテルに戻ったのが10時15分頃、ゲルバの連中が、3人の仲間を待っていた。ここでさっそくシャンペンのらっぱ飲みが始まる。だれかれと関係なく、シャンペンが飲み干されて、あっと言う間になくなってしまったようだ。山車にされていたおばさんも、照れることなく、納得するのでもなく、拒否するでもなく、冷静にシャンペンを飲み干す。ここでゲルバの一部を垣間見た感じがした。20人近い人間が狭い所で寝食を共にする訳で、楽しそうなシャンペンの交換シーンの中にさえ、結構厳しい現実を感じてしまった。
 新田見がいたので、ここでも簡単に挨拶する。こう何度も会ってしまうと、話す事もなくなってきて、だんだんに、参加者数や状態などのゲルバの様子とか、病気しなかったかなどの話題になってくる。西アフリカで3人がマラリアにかかったそうだが、新田見ではない。などなどの話をしているうちにゲルバが出発となる。我々も部屋に戻って、バッテリーの充電とフィルム交換など午後のサファリの準備をした。11時には出発する。出がけに結構でかいとかげがいたので、撮影した。もう1泊するので、記念撮影などは明日になる。
 部屋に戻って出発の準備をしていると、ゲルバの若い方の二人が近くにきた。3人のうち、おばさん一人はゲルバと一緒に帰ったが、二人は残る。久しぶり、とはいっても2〜3日前にナイロビでホテルに泊まっているので何カ月ぶりという訳ではないのだが、ちょっと雰囲気の良いこのホテルはやや魅力であったようだ。トラックとテントがいやというより、やはりビーチで豪華なリゾート気分も捨て切れないでいる二人のようだった。せっかくだからと部屋に招きいれて部屋の状態を見てもらう。今日は泊まったらとか言ってしまったが、明日からまたテント生活かと思う女性には、これが効いたのかも知れない。この日、ここに泊まることになった。
 11時に出発して、この日の朝には見えたというヒョウを探しに川沿いを行く。川そのものは、ほとんど流れていない。30分ほど、その川沿いのルートを走った後、草原に入る。ヒョウは諦めたらしかった。ちなみにこの日、トムさんは朝のうち暇になったので、ゲルバのガイドを努めたようだ。日本人の知り合いもいたし、結構、親密そうでもあったので、その関係かも知れない。なにせ、トムさんはここではナンバーワンガイドのようだ。
 草原に入ってからもしばらくは走っているだけだった。背丈ほどある草は、よほどの事がない限り動物を見せてくれない。ときおりインパラなどが見えるが、草原の空き地のような所で数頭が見えるだけだ。それより鳥が多い。ジープの騒音に驚くのか、かなりの数が飛び立つ。飛び立ってからジープの横を飛び続けるものもおり、これはビデオを撮るとちょうど良いのだが、なかなか、そう撮れるものではない。鳥に劣らずバッタもすごい。これだけの動物を養っていくには、やはり必要なのだろう。場所によってはバタバタとバッタが舞い込んで来た。その度に吉田夫人が騒ぐ。
 ここで、思いがけないシーンと言うか、一番ガッカリされられるシーンに出会った。ジープが20台ほど連なってカバを見ていた。いままで、ほとんど1台で行動していて、そこにどんな動物がいても、それを取り囲んで見るようなことがなかったので、これは一瞬ガッカリした。トムさんから、この状況について、すぐに説明があった。スペインの王室御一行様らしく、その関係者とそれぞれのガイド、政府の役人まで付いて、こうなってしまったらしい。20台程度の数はここでは壮観であるが、そういう環境でしか見られない王室の連中も可哀相だ。ところが、このご一行様、政府の指導で、追い抜いたりしてはいけないそうで、トムさんの性分に会わないらしく、別の道を行くことになった。一緒に行くことになっていたもう一人のドライバーは、やはり一番近道の、このジープの後をついていったようだ。vipはほとんどの場合、午前中くらいで切り上げ、セスナでアルーシャに戻るらしい。だとすれは、このご一行様の後をついて行くのも、そう長い時間ではなかったのかも知れない。
 1kmくらいだろうか、後戻りした後に、別の道に入った。川沿いの道からずっと、昨日通ったようなどこでもokの背丈の低い草原ではないので、ここはトレイルが決まっている。ジープからでも、ときおり先が見えないくらいの背丈はあった。お花畑と言えるような所もたまにはあったが、全体としては、枯れてはいないのだろうが、そう見える部分も多かった。どのみち動物類が少ないのだから、草食獣大喜びの状況ではないようである。しばらく行くと、ぬかるんでスタックしそうな場所の手前で急ブレーキ、蛇がいた。直径7〜8cmくらいはあるだろうか、名前は忘れたが、毒蛇だそうだ。動きは鈍いし、形はいびつになっているし、何かを飲み込んだばかりかもしれない。ぬかるみと蛇をどう除けるかが問題だったが、そのうちに蛇が動き出しても通れるようになった。
 また、しばらく草原を走ると、昨日通ったような道に出る。本通りは1本だから、たぶん、通っているのだろうが、これが確認ができない。同じようでもあり、そうでないようでもある。野焼きをやっていた。2〜300m四方のサイズで煙をあげている。草の生育のために計画的に進めているようだが、係員は見えない。火を付けるだけのようだ。あちこちで煙をあげている。その野焼きをやっている周辺では、ただの草原ではなく、岩が多かった。小高い山になっているもの、ちょっとした岩だけ、などいろいろあるが、大きいものでも、直径で100〜200m、高さは2〜30mくらいだろう。その岩のまわりにだけ木が生えている。
 そのあたりを通り過ぎてカバのプールに出る。このあたりの川にはほとんど木がない。草原のくぼみに、ちょうど尾瀬あたりの川をイメージすると近いだろうか。やはりほとんど流れていない川だが、水の量はそれなりにある。川幅10〜20m、濁っているので深さは分からないが、カバがスッポリ沈むのだから1m程度だろう。カバのプールと言うだけあって、川ではない。だが、前後を見ても閉じられた様子はないので、少なくとも2〜300mの長さはあるのだろう。そのかばのプールの前でひと休みになる。降りてはいけない筈のサファリだが、セレンゲティーは広すぎることもあって、制限が緩いようだ。何をしても自分のリスクと言うことではあるのだろうが、ここでも降車して、しばしの休憩。カバはほとんど水の中で、ときおり顔を出すが、全体像見せてくれない。2〜30頭はいるようだった。
 カバプールを過ぎてしばらく行くと、セレンゲティーの中でも動物が集まっている部分に入る。まずはシマウマがいた。シマウマとヌーはお互いに助け合っているようで、どちらにもどちらかが多少混じっている。このシマウマの団体には少しのヌーが混ざっていた。全体で、どのくらいだろうか、千頭か、それ以上か、ヌーの団体には比べ物にならないくらい少ないが、ヌーの違って、鮮やか模様のシマウマは、さほどに多くなくてもインパクトはある。川を渡っているようだが、なかなか渡り始めない。トムさんの話によれば、やはり背丈の高い草原で動くのは危険なので、なかなか動き始めないとのこと。確かに水辺の前であれば、それを通り越して襲われる事はほとんどないであろう。逆にいうと、川を越えたところに大きな危険がある訳だ。なかなか渡り始めないのもうなづける。ただ、絶対に渡らないのではなく、餌がそちらに豊富なら、そのうちには渡ることになる。それで渡ってから、またじっとしていて、しばらく動かず、結局誰かが犠牲になって、襲われる危険がかなり減ってから本格的な移動になるようだ。犠牲の意味合いがここでははっきりしている。宗教の類の不合理な犠牲ではなく、ある意味では、それに適したとも言える、弱い物が犠牲になり、仲間の移動、場合によっては死活問題であろう、の手助けになる。
 そこを過ぎてナービヒルに上る。このあたりでは、一番大きな丘だろうか。この丘は直径が1kmくらいはありそうだ。草原のオアシスというのも変だが、だだっ広い草原の中で、森と言うほどではないが、木が生えている所はめずらしい。この丘の中心を少し外して道路が走っている。そのウゴロンゴロ側に20台くらい置ける駐車場が2つと、それぞれにトイレなどがあり、係員の詰め所と言うか、公園の売店のようなものもある。値段が高いので、ここでの買い物はしない。いくつかのテーブルがあり、そこで昼食になる。いつものボックスランチ、それにトムさんの手配したコーラ、ただし、今度は2人で1本にした。どうやらミネラルウォーターやコーラは現地旅行社のサービスのようだが、これが十分には処分できないでいて、断ったりしている。500ccのコーラは二人で1本で十分だから仕方がない。
 テーブル椅子ともにコンクリート製で、ちょっと汚れているが、大きな問題はない。全員でテーブルを囲んで食事となる。いつもどおりにサンドイッチとチキンフライ、ただし、このフライはペルーで食べた時のものよりずっとうまい。茹で卵は、これはちょっと白っぽくて、味に大きな違いはないようだが、それほどうまくはない。食べられそうにない菓子類とトムさんようにまとめて食事も終わる。小鳥達がテーブルの近くまで来て騒いでいるので、パンの切れ端を投げると、飛び付いてきた。それが面白くで、女性二人は、ずっとそればかりになってしまったが、後で気が付くと、餌を与えないでください、と英語で書いてあった。
 約30分の食事時間を終えて、ナービヒルを北側に向かって降りていく。ここも、しばしの草原となる。ナービヒルを降りて直後にヌーの大群がいる。シマウマも多少は混じっているようだが、ヌーの大群。その数、想像が付かない。とにかく目の前に何万頭と言う感じでいる。見える限りを埋め尽くす訳ではない。草原は広く、もちろん目の前はヌーで埋め尽くされているが、ずっと先の方では草原がしっかり見える。ただし、群れになったヌーの列が切れない。延々と続いている。そのヌーの大群の中に割って入る。近くのヌーは逃げるが、群れ全体の移動は悠長とでも言うのだろうか、道路など走り過ぎる必要のあるところは、確かにすごいスピードで通り過ぎるが、その他は動いたり動かなかったり、そんな感じで移動しているようだ。ジープに気が付くとびっくりしたように退くのは、若いヌーのようだ。大群に割って入っても思いがけずにスムースに通り抜けた。
 ちょうど、その群れを抜けるころ、無線で連絡が入る。チーターが食事中との事。ハンティングシーンは既に遅く、さらには食事のシーンも間に合わないかも知れない状況だが、急ぐ事にした。到着すると、まさに終了直前。1頭だけ食べているところだったが、ジープの音を聞き付けると、食べるのを終え、群れの中に入っていった。母親と5頭の子供、2才くらいだそうだが、もう大人と変わりない。寝転んでしまうとスッポリ埋まってしまいそうな草原の中、互いの顔をなめあっていた。しばらく見てから、そこを離れる。
 ホテルの帰路、岩の上に寝転んだライオンとか、ハイエナとか、ジャッカルとかを見た。このジャッカルは圧巻で、時速60kmを越えるスピードのジープの前を全力疾走と言う感じで走っていた。3分くらいだろうか、もっと長かったかも知れない。必死に逃げているジャッカルを追うトムさんに止めようと言うと、彼は遊んでいるのだと言う。そういえば、獲物が疲れるまで追えるのがジャッカルで、草食獣に近い持久力があるらしい。そうこうするうちに道路をそれて草原の中に入っていった。
 ホテル近くになって川沿いの林の近くを通りながら、そのうちホテルが見える所に北が、それを通り過ぎて、その先に行く。ちょっと薄暗くなってきたこともあり、早朝のバルーンサファリからだから、ちょっと疲れ気味ではある。後で聞いた話だが、朝のうち見られなかったひょうを探しに来たようだった。ただし、いたのはバブーンで、多少は野生が残っているのか、ジープの横に来るとスピードをあげて通り過ぎていった。どうしてもこのバブーン、日本猿に少し似ていて、あまり可愛くはないので、写真などもちょっと遠慮がちになる。
 日の入りの頃、ホテルに着く。このホテルは、岩のテラスがあって、そこが夕陽を見る絶好のポイントと紹介されていたので、そこに急いだ。吉田さん達も誘ったのだが、こちらはシャワーを浴びるのが先決らしかった。岩のテラスまではバーを突き抜けて行く。するとウエイターが追ってきてオーダーを聞く。我々は、一応夕陽を見たら、すぐに部屋に戻るので断ったが、宮城さんは水を注文していたようだ。時間が遅く、夕陽は沈んだ後だった。だが、まだ明るいので、周りの岩のハイラックスの様子などを見ていた。ハイラックスにとっては、この岩が住みかだった訳で、ホテルの方が後だったのだろう。今でもこの岩の間に巣を作っているようだ。もう少したつど懐中電灯が必要になるなと思う頃、部屋に戻ることにした。バーの外から岩を降りて、火事になったまま修理をしていない部屋のブロックを過ぎ、自分達の部屋に戻った。このホテルは、コの時型になっていて、開いた部分が岩山になっている。

火事になったまま→□□□□
┌──┐ □
│岩山│   □
└──┘ □←部屋
 □□□□□□
  レストラン フロント
 部屋に戻ってシャワーを浴びる。この日はお湯が出た。1時間ほどあるのだが、2人でのシャワーは結構時間がかかり、これでも忙しい。私の持ち時間は10分ほどである。7時45分の遅い食事に向かう。この日ここに泊まることになったゲルバの二人と一緒になる。宮城さんがフロントとの交渉もしたようで、待ち合わせになっていた。この二人、2食付きで100ドル、つまり一人50ドルとのことだが、これはかなり格安ではなかろうか。ただ、フロント直取り引きのため、ほとんどが現場の人間の取り分になってしまうらしく、いつでもかなり安いらしい。セレンゲティーの草原の中、50km〜100km四方に人間が済んでいる場所がないのだから、飛び入りの客もめったにないだろう。ちょっとした小遣い稼ぎ以上にはならないだろう。
 昼間のスペイン王室御一行様は、ここで昼食をとったらしく、この二人はそのおこぼれに預かったようだ。しかもバイキングスタイルで準備され、ありあまるほど作った料理の処分役は、当人達はもちろん、ホテル側にも好都合だったのかも知れない。ここで2食付きが3食付きになった。
 例の如く夕食はたっぷり2時間、ゲストがいるのだから余計に時間がかかる。昼食の話やゲルバの様子などを聞く。一人は二十歳で一番若く、もう一人は旅行雑誌のルポで同行、つまり官費旅行をしているとのこと。若い方は、訳も分からず来てしまって、あれよあれよと行程をこなし、帰る決断ができないでいるうちに、結構大変な事をしてしまったタイプ。ルポの方は、何事にもめげないタイプで、ほとんど何事に対しても楽しめてしまうタイプ。厳しい状況になればなったで仕事と割り切れるかも知れない。ただ割り切りが早いだけに、もし、途中下車するとすればルポの方だろう。10時近くになって、明日の事もありお開きにした。この後に飲みに行ったりする元気が欲しいのだが、それがない。それに飲めない。

06:00-10:15 バルーンサファリ
(07:00ー08:20) バルーン
(09:00-09:45) シャンペン朝食
11:00ー18:30 サファリ チーター8匹
(13:00-13:45) BOX-L ナービヒル
19:45ー21:45 D

4月30日

 このホテルも自家発電だが、停電時間が11時半から5時までと、ほぼ問題ない水準で電気が通っている。5時頃に目が覚めて、蝋燭をつけてうろうろし始まったら、そのうち電気がついた。やがて東の空が赤くなり、小鳥達が盛んに鳴き出す。だんだんと明るくなってきて、朝陽や小鳥のビデオを撮り始めたら、いきなり猿が窓の手すりにたかってきた。小型のサバンナモンキーたち、バブーンより白くて一回り小さい、小さいだけに、これが部屋に入ったら、それこそ大パニックになる。慌てて窓を締める。朝陽も窓越しになるが、猿が部屋に入るかも知れないリスクは、ちょっと負い切れない。窓際に来て、中の様子をうかがっている猿を見ると、その惨状が目に浮かぶようだ。
 7時に食事に行く、天気も良く、この日はバルーンが2つ飛んだ。ここでの朝食は最初で最後、マニアラと同じように卵料理は作ってくれる。白っぽい黄身には、やはりできるだけ多くの具が欲しい。全部をオーダーする。毎度の事ながら、いつもより余分に食べてしまうようだ。それだけ調子が良いのかも知れない。食事の後にランチ詰めになる。これも毎回ほとんど同じ内容になる。考えてみれば、サファリの間で食事を提供する場所、レストランはない訳で、これが最善の方法なのだろう。8時には出発となる。セレンゲティーのロッジでの記念撮影となるのだが、木登りハイラックスとか縞マングースとか、結構目新しい動物が出てきて、そちらの撮影になる。木登りハイラックスは、ただのハイラックスが木に上っている訳ではなく、別物とのことだった。庭の結構すばしっこく走り抜けているのがマングース、最初は変なものが動いていると言う感じだったが、結構後から後から出てくる。これが結構立派に輪切りの茶と黒の縞模様で、若干気持ち悪い出来合いになっている。ちなにみ普通なら、空いた時間にホテルのまわりを散歩したりするのだが、ここではできない。ホテルのまわりに拳大から頭くらいの石が並べてあり、それが境界になっていて、それより先に徒歩で出てはいけない。つまり、いつもと同じホテルの庭の向こうは動物達の場所、肉食獣がいる可能性もある訳だ。ジープも一緒に記念撮影してから出発となる。
 出発して30分くらいだろうか、ホテルから南側の丘の近くまで来ると、木も多くなってくる。草原も一種類の草が延々とはえている、いわゆる草原ではなくなり、雑多な植物が見え、蔦類も目立っていた。そのうち、無線で連絡がとれていたようだが、木の上にライオンが見えた。木登りライオンはマニアラ湖で有名だそうだが、現在はほとんど見られないらしい。ここでは、木そのものがあまり多くないのでチャンスは少ないのだろうが、ラッキーだった。宮城さんも結構はしゃいでいた。ライオンは4頭いて、全てメスだった。刺されるといたい蠅、ツエツエバエが木の高さには来ないそうで、その為に登るのではないかと説明があった。ライオンは爪が木登りに適していないそうで、本来は苦手とのこと。ジープが近づくと、ちらっとはこちらを見るが、元来、我々は眼中にない。じっと遠くを見つめる場面もあったが、それは、ほとんどが、同じライオンである場合が多い。枝を横に張り出して横に広がる木、その枝にうまい具合に腹ばいになっている。ジープが動くと「なぬ」と言う感じで目を開ける場合のあるが、すぐに寝てしまう。ライオンのしっぽの先が太い筆のように膨らんでいるのが良く見えた。それと、食事の後なのだろう、ビール腹もここまでくれば立派と言うほど、枝の間から突き出したお腹はだらしなく見える。
 山際をしばらく走ってから草原い出る。砂利道だが一応は整備された道路があり、そこを走っていくとジープが2台いて、その前にはライオンの集団がいた。全部で10頭くらいだろうか、雄も1匹見えたが、まだ若いようで立派なたてがみとは言い難い。むしろそうかなあ程度の雄だった。ちょうど食事は終わったらしく、のんびりした風景だった。ただ、1頭だけが不穏な動きをしており、それを目当てに他のジープも待っているようだ。遠くにヌーの子供がおり、そのライオンがゆっくりと風下に歩いて行く。2〜300mは離れているのではないだろうか、そのくらい遠いし、草原に埋もれてしまって、ヌーの子供を確認するのに時間がかかった。トムさんはまだまだ時間があると判断したらしく、100mほど行って、ハンティングの先回りをした格好になる。それからでも10分以上はかかっただろう。じわじわとヌーの子を追い掛けてくる。気が付いてはいないのであろうが、それでも気が付かれないように騒がず慌てず移動しているヌーと、背を低く、忍び足に徹して追い詰めてくるライオン、両方が見事な緊張感を感じさせてくれる。
 ハンティングは一瞬だった。3秒も追いかけていないだろう。出だしの一瞬で諦めてしまった。30分近く追ってきたのはなんだったの、てな感じ。宮城さんの言うには、1頭で成功することは少ないらしいとのこと。それにライオンの場合は、そもそも失敗が多いらしい。20回に1回くらいの成功率だそうだが、特に珍しいケースらしく、あの雌だけが、ちょっと食べ足りなかったのではないかとのこと。ちょっと足りなかったところで、目の前におあつらえ向きの子ヌーがいる。ではちょっとやっつけてみようか程度ではないかと言っていた。それなりに緊張感はあったが、本格的ではなかったのかも知れない。ほんの2〜3数秒しか追い掛けていない。
 ほんのわずかな時間なのに、そのライオンはそれなりに疲れた感じを出している。取れなかったのだから余計かも知れない。道路端の水たまりの水をぺろぺろと舐めながら、けれど、「失敗しちゃったよ」といった照れは感じられない。失敗して照れてごまかすのは人間だけなのだろう。水を飲んだ後、とぼとぼと仲間の方へ歩いていくライオンに付いて、我々もライオンの集団の方に行った。雄ライオンのいるが、まだ若くて立派なたてがみにはなっていない。お互いに舐めあったりしている姿は動物園のものと変わりない。
 そこを離れて、ほんの10分くらい走ったところで、今度は岩の上にライオンがいた。その岩が、大きさはせいぜい10mくらいだが、形がエアーズロックのようで、登るのが大変そうだった。見えない所で登りやすい形になっているのかも知れないが、ライオンは結構、木登りも岩登りも得意なのかの知れない。岩の上に5頭くらいのライオンがいたが、若干遠目で、しかも、岩の上なので写真が撮りやすい状況でもなく、岩全体とちらっと見えるライオンを撮って、そこを引き払った。
 この日は見どころがたくさんだった。また10分くらいすると、今度はヌーが、道路を渡るところだった。彼らにとって、道路は川のような障害物、危険地帯、さっさと渡り切らなければならないらしい。西部劇で見たような、もっともあれはバファローだったとは思うが、かなりの勢いで道路を飛び越えて行く。みんなが渡るから行けると言う感じで、道路の少し手前からスタートダッシュが始まり、そこから砂塵が舞う。そこから一気に道路を渡り、またしばらくするとのんびり歩く。整列している訳ではないが、横には、せいぜい2〜3頭しか重ならない。ただし、これから渡り終えた行列が1kmくらいあり、これから渡ろうとする行列は最高尾が見えなかった。
 そのヌーの行列を遮って進むと、ナービヒルがある。ちょっと左曲がりに丘に登り、向こう側がゲート、ここでトイレ休憩をする。ドライバーが手続きをしていたようだ。毎日ここで入園料などを払っているのかも知れない。不思議なトイレでドアがない。日本式と言って良いような穴がぽっかり空いたタイプだが、ここでは安心してトイレを済ますにはちょっと訓練がいるようだ。女性達は、ひとりが見張り番になって入っていたようだが、宮城さんがどうだったかは聞いていない。たぶん、このくらいには安心して入れるくらいの訓練ができているのだろう。
 トイレを出ると、ちょうどジープの横に小さな木があり、そこに緑色のカメレオンを見つけて写真などを撮る。木登りライオンまで見てしまったこのの時期になるとライオンよりカメレオンの方に目が行ってしまう。ドライバーが戻って、大草原へ出発する。ゲート付近は監視の目もあるせいか、一応、通路になっている轍の上を通る。ひょこらと近くにライオンが見える。背丈が50cmはないであろう草原の中でも、寝転んだライオンは結構見つけづらい。近くだったが、先ほどの大群ほどは近くないし、寝そべっているライオンは珍しくない。もういいよ程度の反応で先に進んだ。その後、しばらくしてヌーの大群が見えた。これが半端な数ではない。どこからどこまでがヌーなのか、分からないくらいにたくさんいる。中にはシマウマも多少はいるが、ほとんどがヌーで、移動はしていない。ジープを進めると近くのヌーは、びっくりしたように避けるが、全体としての動きはない。10分ほど眺めていると、どうやら少しは北の方に動いているようだが、草を食べていたり、移動しようと言う意志は感じられない。数える気はしないが、どのくらいだろう。数十万頭と言うのが、まんざらでもない量に思えた。どこまでも、どこまでもヌーがいる。ただし、草原はさらに広い。
 そのヌーが見えなくなる頃に、ハゲタカの群れが餌をあさっている場面に出会う。10羽ほどのハゲタカが、それぞれに牽制しながら、餌を突っ突いて食べている。同じ種るのハゲタカなので烏合の集とでも言うか、ごちゃごちゃ状態になっているが、それぞれに肉片にはありついているようだった。そこへ、ちょっと大型のハゲタカが来る。どう見てもちょっと大きいだけ、倍もあるのではなく、せいぜい2〜3割なのだが、しっかり大きいことだけは確か、それが来た途端に、前のハゲタカは一斉に一歩引き下がった。これが自然界なのだろうか、ほんのちょっとだが、確実に大きい。それで10羽程度のちょっと小さめのハゲタカは全部が避けてしまった。その1羽がしっかりと餌を食べている。周りの小さめのハゲタカはさっきよりは確実に食べ安い環境でも、手が出せないでいる。そこへ、もう1羽の大きいハゲタカが来た。食べ始めていたハゲタカが、まわりの10羽には目もくれず、その1羽に襲いかかる。自分に挑戦してくることをしっかり踏まえての先制攻撃なのだろう。その2羽はしばらく争ってから、どちらが勝ったのか分からないが、1羽がまた食べ始めた。
 昨日のチーターの親子がまたいた。ゴロゴロしているが、遠くの岩の方を見ている。その岩に、また別のチーターがいるらしく、そちらに急いだ。これが雄2頭、雌1頭で、雌は地面に寝転んで、雄を避けていた。雄がときどき飛び掛かろうとするが、雌はまるで猫のような声で鳴きながら、雄を避けていた。ドライバーの説明によれば、この雄2頭は仲間であって、雌に交尾を要求しているとのこと。雌はまだ、子供が小さいので逃げようとしている。雄は時々雌の匂いと嗅ぎながら、もう十分体勢が整っていると判断しているようだ。その雌の子供はまだ2才程度で、ひとりでハンティングするにはちょっと早い。雄は交尾だけで、後はなんの世話もしないそうで、雌が子供の養育をする。ところが、交尾をして、新しい子供ができるころになると、前の子供はほうりだすそうで、2才では若干早く、育つ可能性が少し低い。それが分かっている親が嫌がっているとのことだった。
 しばらく、その場面を見ていたが、なにも起きそうにないので、引き上げることにした。チーターの交尾は、それこそ滅多に見られない貴重なシーンだそうで、ビデオ映像としてもなかなか流れていない筈との説明があった。そう言えば見ていない。それと言うのも、このような状態になってから、実際に交尾するまでには2週間とか長い場合はそれ以上になるらしく、しかもすぐに終わってしまうとのことだった。ライオンが明確なハネムーンと言う、2頭が群から離れて交尾行動に入り、そうなれば10回とかそれ以上の交尾を繰り返すのとは違って、難しいらしい。
 と言う、その交尾行動は確かに見られない。ドライバーが言うにも、まだまだ先だろうとのこと。少し、その場を離れて昼食をとることにした。公園の中では、ジープを降りてはいけない規則と聞いていたが、昼食場所は、岩の上。ところどころにある岩山の一つを一回りして動物がいない事を確認してから、その5mくらいの小山で昼食となる。相変わらずのランチボックスなので楽しみはないが、むしろ、その自然の中で、ちょっぴり危険を感じながら、さらには鳥の糞だらけな場所を避けて、ボックスを広げた。鳥が鼠を食べて、毛だけをはきだしたような毛の固まりもあった。相変わらずコーラが付いている。喉が乾いたこともあり、それにトムさんの荷物が減らない、ような話も聞こえたので、1本づつ飲んだ。
 ここでの食事時間も30分程度だろうか、その後のトイレ休憩と合わせて、その程度の時間だったかも知れない。女性はあちら、男性はこちらてな感じでトイレを済ます。その時、岩の後ろ側にまわって岩をじっくり見ると、これがなかなか面白い石だった。赤い御影石とでも言うのだろうか、さほどにはっきりした色をしている訳でもなく、また、均質でもない。ただ、自然の御影石とはこんなものなのだろうか、色のない層があったりする。切り取って磨けば立派に墓石になりそうな質と模様をしていた。
 ここで、トムさんから提案があった。チーターの所に戻ってもさほどに変化はないだろう、それより別の所に行って、何か探そうかと言う提案だ。これにはオルドバイとかマサイ村とかスケジュールがつまってきることもあって、多少早めにロッジにと言う意味もあったようだ。だが、4人の判断は、またチーターへだった。1〜2時間、ただ待つことになるかも知れないが、それでもそれだけ貴重なチャンスと思った。他の所に言ってもひょうが見られる訳ではないだろう。
 珍しく弱気のトムさんと、強気の客になってしまったが、それから、またチーターの所に戻った。こちらは、ただ待つことを覚悟しているのだから、動こうが動くまいが構わない。と思ったら、思いがけない動きになった。飽きたのか諦めたのか、雄2頭がちょっと離れた岩の方へ歩きだした。雌との距離は300mくらいになったろうか、トムさんが、これから雌が逃げるぞと言う。それを言ってすぐに、雌がじんわりと動き出した。雄からはジープの影になるようにハンティングでもするかのように背を低く保ち、慎重に歩き始めた。
 これで、両者の間が500mくらいになったと思う頃、雄が飛び出してきた。それこそチーターのスピードで追い始める。雌も全力で逃げる。それをジープで追った。チーターが走るシーンが目の前にあった。ただし、それも長くは続かない。せいぜい2kmくらい走ったところで雌が諦めてしまった。まだ走っている時点でトムさんの話では雌は諦めてしまって、そのうち止まるだろうとのこと。確かに、それから500mくらい行った所で雌が止まり、前と同じように地面に寝転んだ。まるで猫のような声で雌がなく。「てめえなんで逃げんだよ」と雄が叫ぶ、「すんませんもうしません」と雌がなく。両方とも理屈や言い訳ではなく、ただ、それだけの繰り返しをやっていた。
 一段落ついたのと時間もないので、オルドバイに向かった。途中でハイエナなども見たが、セレンゲティーの大草原を走り抜けてオルドバイに入る。草原の端、山際と言っても良い部分が渓谷になっている。草原の真ん中にいると見分けがつかない。近づくと確かに掘れている。山の間の渓谷ではなく、溝である。深さは100mくらいだろうか幅は2〜300m、それほど大きなものではない。渓谷そのものが溝であると同時に、周辺設備が、せいぜい民家程度しかないので、遠くからは何も見えない。近づいていくとブロック造りの博物館がある。なんとか博士発掘調査がメインだが、大きさは6畳二間か8畳二間程度、入口脇には発券窓口のようでもあるが、中が真っ暗で何も見えない。カウンターに土産用らしい、例のパンフレット類が置いてあった。
 博物館に入ると、最初にクリントン夫人の写真があり、人類化石、土器などになっていく。いづれも重要品はレプリカであること、遺跡にしては古過ぎて実感が沸かないことなどから、気が入らなかった。博物館の裏手に井戸らしいコンクリート造りのものがあり、木の蓋がかかっている。そこに土産物が乗っていて、マサイのおじさんが店番をしていた。ここでも宮城さんとの値段交渉が始まる。ここはどうやら末端価格らしく、かなり安かった。吉田さんがマサイの儀式用のこん棒のようなものを買っていた。こん棒にビーズ模様が巻いてあって、所々からイヤリングのように飾りが出ている。私も首飾りを一つ買った。200円くらいだったろう。
 その土産物屋を過ぎると、海の家風の休憩所がある。ただの日除けにしかなっていないのだが、椅子は置いてあったようだ。そこからの眺めが旅行案内書に出ているオルドバイである。吉田さんと4人で記念撮影した。オルドバイの出口ではマサイおじさんおばさんたちが店を広げていた。周辺には家は見えないので、遠くから出稼ぎに来ているのだろうか、10人ほどのおばさんとおじいさんは二人くらいだったか、若いにいちゃんも少なくとも1人はいた。それぞれにマサイウオッチや首飾り、儀式用のこん棒なども売っている。ここでは一つ100円程度のマサイウオッチを大量に仕入れた。
 そのうちに例の若いにいちゃんが言葉は分からないながらも、「おまえは写真を撮った、金を払え」と言う。私が宮城さんに手助けを頼むと、しばし、あちこちとの会話が続き、結局何もしなくて良いとのことだった。なんでも、そのにいちゃんは、全然関係ない奴で、私達を撮ったところで、そのにいちゃんに払う必要はないとのこと。何か買ってくれれば良いと言ったらしい。引き上げる直前になって吉田夫人がトイレに行くことになった。なんでも、かなりすごいトイレらしい。帰ってきた吉田夫人の話では、渓谷の縁に渓谷側にガランと開いたトイレらしく、なかなか根性がいるようだ。周辺に人の気配がするとめげてしまうかも知れない。
 オルドバイを出て、ウゴロンゴロへ向かう。多少登り坂になり、お花畑になる。オルドバイあたりからは木も多く、大草原でもなく密林でもない。ウゴロンゴロの手前では、緑の裸山風の丘がつづき、ときおりマサイ村らしいものが見える。そのほぼ最後の所が本日のマサイ訪問となる。これが、マサイ村とは言うものの、大変な観光資源になっている。車1台50ドル、ひとり平均12.5ドルは法外とも思うえるのだが、それでも客がくるのだろう。タンザニアの協定料金になっている。
 既に2組みほどのフランス人らしいグループが入っており、そのグループの出るのを待つかどうか宮城さんから提案があった。我々もさほどに気が入っていた訳ではなく、雨模様で、回復傾向とは思えなかったこと、そのグループがどうやら簡単には引き上げそうにないことなどから、入ってしまうことにした。マサイなのだろうが取りまとめ役のマサイの格好をしていないおじさん相手に料金を支払って入場する。中のマサイは、どうやら中途半端な生活をしているようだった。たぶん昔は着ていたのかもしれないマサイ衣装を着けて、けれど普通どおりの暮らし方とでも言うのだろうか。放牧やマサイウオッチ造りだけが彼らの仕事だったとしたら、普通と全く違わない生活をしているのかも知れないが、また、いわゆるマサイダンスを年中やってる訳ではないだろう。
 牛の糞で固めた家は、ライブハウスで、ここも覗いて良い。ただし、ほとんど見えない。四角い蝸牛のような格好のマサイの家は窓がなく、入り口から覗くという最悪の見学方法では、羊用の柵くらいしか見えなかった。入り口を入って半畳ほどの空間がり、その向こうに竹の柵が見えた。どうらやその部分が羊の入るところらしい。で、それより先は見えていない。実際に料理をしていて煙もうもう、牛の糞の匂いの方がまだましだろうと思える酷い匂いがして、中に入って目が馴れるのを待って、というような見学の仕方は諦めていた。2〜3才の子供もいて母親を見失ったのか泣いている。雨脚が強くないり、それに応じてマサイ村の広場は泥沼状態になった。
日暮れも近く、ちょうど羊の群れを村の中に入れているところだった。子持ちらしい羊が思い切り変な格好で小便をしていた。しかも、こちらをうさんくさそうに眺めていた。雨脚も強くなり、さっさとジープに引き上げる。この50ドルは高かったかも知れない。一応、マサイ村に寄った程度だが、観光客にはこの程度が効率的で良いのかも知れない。ウゴロンゴロに向かう。
 ウゴロンゴロのロッジに着いたのが18時30分頃。早めにロッジに入ってゆっくり休む筈が、どうやら少なくともこの日まではない。夕食時間を少し遅らせて19時45分にした。それまでにシャワーを浴びる。ここでは、お湯が出たので、十分にシャワーが浴びられさっぱりしてから夕食に向かった。かなり広いレストランに半分ほども入っていないが、マニアラとかセレンゲティーに比べればかなり多い。3分の1程度の入りだろうか。バイキングスタイルの食事がほとんどだが、ここでも同じだった。ただし、量、質共にかなり上と思える。品物が30種類くらいある。鳥料理が3種類、肉も3種類、デザートも・・・と言う塩梅だったが、魚まであったのは驚きだった。フライがあって、それに50cmくらいの魚が1匹丸焼きになっていた。魚が魚の形をしていたのに感激して、その話題で持ちきりになり、名前を聞くのを忘れた。1時間半くらいのいつもより少し短めの夕食の後、さっさと寝た。

07:00-08:00 B
08:00-18:30 セレンゲティー〜ウゴロンゴロ 木登ライオン〜ライオンハンティング〜岩ライオン〜チーター
(01:30ー02:00) BOX-L 岩の上  チーター〜マサイ村
19:45ー21:15 D

5月1日

 6時頃、薄暗い中でも雨模様が分かる。窓にはびっしりと露が着いている。外も霧のようでほとんど視界がきかない。7時になって朝食に出る。バイキングで卵料理は例のごとく作ってくれる。タンザニアに来てからはずっといつもより多い朝食だ。最後にやはりランチボックスを作る。これもいつもと同じで、ずっと同じことをしている。同じ系列のロッジを使っているだけではなく、ランチを取れる適当な場所がないのも確かだ。
 7時45分出発の予定だが、やや遅れて8時出発。今日は一日のんびりウゴロンゴロだと思っていたのだが、これが大変な間違い。クレーターに降りる道が最近の雨で駄目になってしまったとかで、クレーターのほぼ反対側まで行くことになる。これが半端ではない。約20km、普通の道ならどうってこともなく、15分もあれば行ってしまうのだが、ここはタンザニア。これにたっぷり1時間、いや、それ以上かかったように思う。始めは霧の中にウオーターバックなども見えて、気もまぎれていたが、日本では経験できないような悪路が延々と続いた。終わりの頃には、これでも眠れるようになるのだから大したものだが、それまでは、景色もろくに見えない中で、それぞれの住居から生い立ちなどなどまでだしにして会話が続いた。そんな中で、我々も今日が結婚記念日であることを話した。
 ちょうど日本の山道のようだった。周りの木々も草も、さほどにアフリカらしくない。鳥や獣が出てくると確かに日本のものとは違うのだが、雨の中、煙った窓からは、ぼんやりとしか見えてこない。道路は茶色、穴ぼこがゴロゴロあり、スピードは15kmくらいだろうか。あまりに長く、ひどい道のせいもあるが、宮城さんからセレナロッジと言う別のホテルでトイレ休憩をする提案があった。時間はもったいないが、ちょっとでも、車を降りて背伸びをしたい気持ちと、そのロッジを値踏みしたい気持ちとて、ちょっと寄り道する。
 ちょっとの寄り道には違いないのだが、それでも10分はかかっただろう。クレーターの縁をさらに登るようにして行った先のロッジは、途中には、それこそ小屋すらないのだから、落差が大きい。で、落差が大きいだけではない立派なロッジが表れた。入り口こそ、ワイルドライフと大きな違いはないが、中は、また別格。ロビーは、直径が20Mほどの円形で、奥は一段下がっている。その奥の方はドアになっていて、外に出られる。庭には皐月まであった。さすがに蟻の大群がいて、アフリカらしさを出してはいたが、立派なホテルの印象は損なっていない。お決まりのプールがあり、その向側には、少し晴れ上がってきたウゴロンゴロが見えた。ちなみに、女性トイレにはソファーまであったそうだ。
 トイレ休憩が20分にもなってしまったが、そのうち、別のグループもトイレ休憩に寄る。タンザニア観光の共同体のようで文句も出ない。それとも、表には出て来ないが、実質的な経営者が同じだったりするのかも知れない。ウゴロンゴロのクレーターに向かう。ロッジあたりから晴れてきて、このころは周りも見えるようになる。公園のゲートを通るが、タンザニアの中でも特別に管理の厳しい公園とのことだった。サイ専門のレンジャーがジープを追い越していった。クレーターに降り始めると、少し景色が変わる。ちょうどガラパゴスのハイランドのように、しっとりとして、木の幹には苔が生えている。標高2000mほどもあり、気流がしっとりした状況を造りあげているようだ。
 ハイランドの風景を過ぎると、これがタンザニアのハイライトかとも思えるお花畑が出てきた。さほどにたくさんではないが、シマウマやヌーもいる。そこが一面黄色の花畑になっていて、遠くの緑と空の青、雲の白、絵で見たような景色で、マサイが神の園と言っていたそうだが、そんな感じがしてくる。ウゴロンゴロの意味がそれだったかも知れない。クレーターの底に降り切ると、草原なのだが、ヌーに食べられてしまったのか、芝生状態の所もある。ヌーがいて、バッファローもいた。
 この頃、お花畑の中の象の写真が撮りたいと言うことになり、クレーターの中心部に向かう。ジープ用の道が出来ていて、場所にもよるが、ほとんどの場合、それをそれることはできない。花をつけている草の背丈が1mほどあり、密生しているので通れなくもないが、通り抜けるのには、花を倒し続ける負い目ばかりではない抵抗がある。または雨期で全体が湿っており、ぬかるみにはまると出られない。象はかなり遠くで、300mmでもアップにならない。それに近づくこともできないので象の移動する方向を見定め、近づくことを諦めた。
 さらに奥に行くと、ワイルドライフロッジがクレーターの縁に小さく見える。眼下に見えた湖(水たまり)の近くまで来ると、フラミンゴがいる。クレーターの中も、それなりに勾配はあって、水たまりも、何段階かに別れてできているようだ。その一番近くに行ったのだが、せいぜい100羽くらいのフラミンゴだ。2〜3台のジープが、写真撮影に停車している。残念ながら、それ以上奥にはいけない。このあたりからは轍を参考に進むのであって、轍をそれるのは、結構危険な事になってくる。トムさんが、まわりの車の動きを見ながら、慎重にではあるが、意を決したような運転になっていた。
 ちょっとは赤いフラミンゴと真っ白なサギのような鳥のいる小さな池を過ぎて、ロッジ方面を終え、少し戻る。クレーター内は閉ざされた空間と言う感じがして、直径20kmくらいはあるのだが、果てしない草原とは違っている。にも関わらず、チラホラと動物がいて、ライオンさえいる。ヌーが数万頭も数十万頭もいて、やっとライオンまでの生存体系ができていると感じていたのだが、ここでも数万頭に近いヌーの群れがどこかにいるのだろう。ライオンは草原に隠れて、と言うより、単なる昼寝かも知れない。どのみち、一日の大半は寝ているようだ。2〜3頭いた。ここでも雌が若いライオンで立派な鬣イオンにはなっていない。まだ、見ていない動物の代表が、鬣ライオンになっていた。
 入って来た方向に少し戻るようにして、どうやら、サイを探していたようだが、ここがうまい具合に泥沼になっていた。タイヤがスッポリと入るくらいの穴が道路中にできている。その先にジープが止まっていて、鬣ライオンが見えた。ゆっくり慎重に鬣ライオンに近づいて行く。1頭がジープの目の前に、2頭が5mくらいのところに、さらに2〜30m離れた所に2頭が見えて、全部で5頭の雄のグループらしい。雄だけのグループで、普通は狩りをしない雄も、こういう場合は仕方ない。それに5頭いると狩りも楽だそうだ。
 しばらくライオンを見た後、昼食になる。クレーターの端の裾野、入って来たところより90度ほど北にずれたあたりだろうか。そこには水道とトイレがあって、ウゴロンゴロの中で唯一食事のできるところらしい。入っていった時にはすでに10台ほどのジープがいる。それぞれに食事をして、終わったようなチームもいた。あいた部分に車を止めて、トムさんが車の中で食べるか、外に出るかと問い合わせる。外の方がよさそうだが、まわりを飛んでいるカラス、いや小型のハゲワシ連中が餌を狙っている。私の芝はすぐに座れるほどには乾いていないようだし、ジープの中も余裕があるので、中で食べることにした。
 いつもの弁当、サンドイッチにジュースに卵にチキン、自分で詰めてきただけに楽しみはない。さっさと食べてしまうと、外に出て散歩になる。まだ、半分ほどのジープが食休みをしていた。トイレに行って、池と木、ハタオリドリや例のカラスを見ている。ここのカラスはかなり訓練が進んでいて、小憎らしいくらいに餌とり名人らしい。吉田夫人がサンドイッチの残りを道路に蒔いた。決して蒔いてはいけないと言う宮城さんの忠告を聞き違えたらしい。係員に見つかると、また面倒だそうだ。30分ほどで食事タイムも終わり、記念撮影してから出発となる。
 さきほどの道を戻って、同じライオンを見る。ほとんど違わない位置にいた。ところが、この時、前に数台のジープがおり、何を焦ったのか、トムさんが、いつもよりは不用意に道路に突っ込んだ。片足を思いきり穴に突っ込んで、4輪でもどうにもならない状態になった。1〜2分は脱出を試みたが、すぐに諦めて、トムさんは前のジープに応援を頼みに出た。吉田氏も出たかったようだが、目の前にライオンがいるのだから、これは問題、当然、その許可は出ない。これはこれでなんとか出たのだが、この後、この照れ隠しのような運転をまたしてしまった。今度はほぼ45度の傾斜、倒れる寸前の状態で、まじで片側に(倒れないように)寄っていた。これも救援のジープが来て、ロープで引き上げてもらった。ライオンの所でしばらく仲間のジープを待つことになる。この先は、ずっとこんな状態で、とても1台で進める場所ではない。それに、そこにサイがいる。
 ほとんど沼地になっているサイのいる場所に行くのにしばらくかかる。ほんの1kmくらいだが、何処をとおるかしばらく悩んでみたり、ところどころに轍があって、多少なりともスムーズに進める部分もあるのだが、たぶんぬかるんで通りづらくなったいる轍を避けながら、さりとて、あまり離れないようにしながら進んだ。ダチョウの群れがいて、その奥にサイがいた。サイは動物園で見られるし、それほど貴重な動物という感じは持っていなかったが、実際にはかなり貴重になってきてしまっているらしい。みんな漢方薬なってしまったようだ。かなり優遇されていてサイ専門のレンジャーすらいるようだが、こうなってしまったのも人間のせいなのだろう。
 ダチョウが邪魔をするように、奥に小さくサイが見えた。草を食べているようで、ときおり角が見えた。でも小さい。100mは離れていただろう。サイはウゴロンゴロのハイライトなのでしばらく見ていたが、動きも少なく、小さいながらも写真に納めると、引き上げることになる。これが、残念なことに来た道を戻る。また、ぬかるみとの格闘だ。5頭のライオンの場所を抜けて、ウゴロンゴロも終盤になる。帰りがけには、黄色一面のお花畑とヌーとシマウマと白鷺が他では見られない景色を作っていた。
 クレーターを登るとウゴロンゴロも終わり、またハイランドの湿った林を抜けて山頂に出る。その直前にウオーターバックがいた。鹿らしい鹿なのだが、なんとかバックと鹿も多く、区別がつき難い。結構可愛い感じの鹿とでも言ったら、合ってるだろうか。頂上から、また半周クレーター周りになる。2時間近くかかるだろう。ただ、この頃になると、日本では見られなくなったガタボコ道も、さほどに気にならなくなってきた。半分くらいは寝ていた。
 例のごとく薄暗くなっていた。のんびりとしたサファリツアーの筈がとんでもない強行軍になっていた。ガラパゴスの二の舞なのだが、これも、滅多に来ない観光客にとっては、ラッキーなことなのだろう。部屋に戻ってシャワーを浴び、ほとんど休む間もなく、レストランに向かう。先日をほぼ同じ席だが、倍以上の人数になっていた。ゲルバ本体が今夜の宿に選んだようだ。なんでも、キャンプ場がけっこう高額らしく、ホテルとの極端な差がなく、しかも、最近の悪天候でテントをはれる状況でないこと、高地でもありかなり寒いこと。これらを総合判断してホテルにしたようだ。おかげで、何度もお別れをした新田見に、また会ってしまった。
 昨日の食事を、基本的には同じ、中身は多少違っている。50cmくらいの魚が焼き魚になっていて、特段の味はないのだが、シンプルでうまかった。一通りの料理が揃っていて、適当に持ってきては食べた。スパゲッティーがうまかった。飲み物以外はセルフサービスで最後のコーヒー紅茶は入り口横にあって、それを持ってくる。
 食事の後、ロビーでトムさんと一杯飲むことになる。私は悦子はコーヒーだが、皆はビール、それにトムと吉田氏はコニャギになる。これはいわゆる焼酎だが、こちらでは、かなりの高級品らしい。普通の人の10倍も給料を貰うトムさんならではの飲み物なのかも知れない。これも1時間ほどで、明日の準備もあり、寝ることにした。すでに11時を過ぎていた。

07:00-07:45 B
08:00ー18:30 サファリ
(13:00-13:45) L クレーター内
19:30ー21:30 D
21:30ー22:30 バー

5月2日

 6時に目が醒めると、昨日とかわりないどんよりした天気で、思いがけずに窓にはびっしりと露がついていた。その露をよけても、ウゴロンゴロのクレーターがぼんやりと見えるだけだった。7時に食事にいく。レストランに入って、左側の窓際が用意されていた。昨日とまったゲルバの団体もいるので端にはなったが、そのゲルバの出発は、まだ先のようだ。10人ほどしかいないレストランで好きなものを運んでくるが、朝食をたっぷりと食べるほどには元気もなくなっている。記念撮影をすると、元気なウエイターが顔を出した。
 8時には、このロッジともお別れになる。ガタボコのしかも坂道を下り、緑豊かな裸山を降りて、マニアラ湖では、土産ものが一番安かった公園事務所によって、また買い物をする。前回と同じ値段だったが、やはりセレンゲティーは売り切れになっていた。そこを過ぎる頃から、道は最悪状態で、来る時よりさらに酷くなっていた。ほとんど川を渡るような感じの道路になっていた。
 しばらくして舗装道路になり、安心するとすぐに土産物屋があり、そこで買い物が始まる。11時にはなっていた。前回、下見はしているのだが、やはり買うとなると訳が違う。我々の買い物ですら1時間近くかかっており、吉田さんたちはそれからさらに1時間くらいかかっただろう。ちょっと昼寝を したが、それでも十分に時間はあった。
 さらに隣のティンガティンガの店でも同様の状況だった。ここでサイン入りの表札を作ってもらうのに約30分。ティンガティンガの大物選びに30分。私はちょっと小振りのを選んだが、実際に値段交渉になってから、またもめた。なにしろ私の選んだ小振りの絵はお気に入りらしく、他が250ドルのところ300ドルと言う。前回、寄った時は200と言ったじゃないのと言うと、それは、あの絵だ、と来る。確かに、大きさだけで値段を判断したのは、こっちの身勝手だったかも知れない。吉田さんたちは、全部で700ドル近い買い物をしたが、私の300ドルは諦めた。この後、T/cの支払いでまたもめていた。
 結局、そこを出るのは3時頃になっていて、アルーシャの町に入ったのが4時。ここのスーパーで買い物をすることになっていた。やはり、普通の買い物もしてみた。町に入ってすぐに×印のついた家が目立つのに気が付いた。質問すると、どうやら不法占拠の建物で取り壊し予定の印らしいのだが、それにしても数が多すぎる。周辺ほど多く、中心部には少ない。郊外にある建物よりは遥かに立派で取り壊すには惜しいが、それだけ、不法に占拠したものが多いのだろう。それとも不法に占拠すると言う感覚そのものがないのかも知れない。ただし、税金だけでも払えば良いのだろう。
 スーパーで買い物をする。ここもマダガスカルと同じように、日本のスーパーと言う感覚ではなく、むしろ高級ブティック程度のイメージがあっているだろう。一般庶民には手が出ないのかも知れない。ただし、まるっきりの観光客値段でないだけ面白い。ピクルスとかコニャーギとか、いろいろ買ったが、それでも20ドル程度で済んだ。最後にファンタグレープを見つけた。ほとんど同じ味だが、ちょっとだけ甘さがきついように思う。ここでまた買い物を追加した吉田氏は、帰りの荷物が心配になる。そこで、今度はバック屋に寄ることになった。
 こちらの方は庶民のバザールになっていた。そのせいで、車を降りないように注意されたばかりでなく、ガイドひとりが店に入り、車窓からの値段交渉でバックを買うことになる。それからホテルまでが約30分だった。すぐに夕食を予定している中華料理屋が案内されたが、また、ここまで来るのかと思うとかえってつらい。一応ルートに入っていて来ない訳にはいかないのだろうが、それにしてももう5時に近い。こっちは昼飯も食ってないが、昼飯よりも夕食を止めたいくらいだった。ただし、最後の晩餐的な意味合いもあって、そこでチップを渡さなければならないのだから、これも止められない。
 明日の出発は5時と早い。しかも、それからの長い飛行機の旅を考えると、荷物をきっちりと整理する必要もある。時間がない。シャワーを浴びて、荷物を整理して、最後に食事だけ残すようにするには、と考えたあげく、食事時間は伸ばしに伸ばして8時スタートとした。2時間くらいで済まさなければならないのだから、かなりきつい。昼食をホテルでとる予定になってたせいか、一応、簡単な食事が出ることになった。8時に夕食だから、それほど食べる必要もないし、時間に余裕もないのだが、ちょっとは食べたい。紅茶とサンドイッチが届いたが、私が半分ほど食べたのが一番食べた方だろう。食べる余裕がなかった。
 部屋は、前回の時よりこじんまりした部屋で、庭先に動物園が見えないので、少しは安いのかも知れない。何の変哲もなく普通の小振りのホテルのようで、有難味はなかった。だが、そんな事を言ってる暇もなかった。ゆっくりきっちりバック詰めをやりたかったが、これが大変な急ぎ働き。とりあえず、荷物を突っ込んだ状態で、小さめのスーツケースも、機内持ち込みのショルダーも満杯状態。ショルダーには軽いものを入れたかったが、フィルムやテープや貴重品などを入れると、かえってスーツケースの方が軽い。なんとか目鼻をつけて、食事に向かうことになった。
 8時に出発する。こんな時はホテルで食べたいものだが、普通なら、かなり余裕があって、このくらいの行程でちょうど良かったのかも知れないが、一応新婚さんにとってもお土産タイムは重要である。彼らの人柄からか、さほどに気にはならなかったが、それでも、時間がきついのだけは困った。約30分ほどでレストランに着く。門をくぐると、子供の頃にはどこにでもあったような雑草のまばらな広場があった。けれど、ここでは、これが高級レストランなのかも知れない。かなり暗い広場を抜けると、テラスに20席、建物の中には、その倍くらいの席がある。中華料理屋らしく、6人〜8人で座れるような丸テーブルがいくつかあり、我々の席は相変わらず一番奥の特等席のようだった。
 8時半に前菜から始まった、いわゆる中華料理で、我々にとっては普通の、しかも味もまあまあのものだった。とりあえず、最後の挨拶を始め、お礼と共に、チップを渡した。平均月収100ドル程度の国であるから、100ドルのチップは給料より多いのだが、1日平均15ドルと言うチップの相場、これは、給料を払っていない旅行会社のチップと称する実質的な給料で、旅行会社と旅行者が長い歴史の中で造りあげてきた制度であろう。それからみるとちょっと少ないのかも知れない。個人的な携帯電話まで持っていて、地元ではあこがれの職業と言われるドライバーだが、機嫌が良さそうだったので十分だったのかも知れない。
 そうこうしているうちに、急に電気が切れた。この辺の国になると当たり前だろうし、私たちもけっこう慣れてきている。極自然に蝋燭に火を付け、と言うより、蝋燭は最初からテーブルにおいてあった。時間制なのか自家発が調子悪いのか、考えるほどには話題にならなかった。ただ、やはり蝋燭の灯りでの食事はちょっと暗い。その後も2、3度、付いたり消えたりしながら、2時間近い時間をかけて食事が終わる。明日は5時出発である。ホテルには11時。それから、再度簡単にシャワーを浴び、とりあえず寝た。

07:00-07:45 B
08:00-18:00 ウゴロンゴロ〜アルーシャ
 土産物〜ティンガティンガ〜スーパー〜鞄屋
20:00-23:45 D中華

5月3日

 4時には起きて、荷物の最終確認をする。荷物の入れ方に悩む余裕はないのだが、一部は入れ替えしたり、かなり気忙しく、落ち着かなかった。なにせ、成田まで持たせなければならないのだから、本当ならもっとじっくり納めたかった。貴重品、と言うよりはフィルムとかテープとか無くなったら絶対に困るものを機内持ち込みのショルダーに入れ、衣類がスーツケースの中に入る。ショルダーの方が重くなってしまい。結局は、金で買える貴重品、カメラや望遠レンズは無くなっても良い方に納まった。
 5時にホテルを出発。タンザニアでは冬でもあり、まだ暗い。まばらな街灯を通り抜け、しばらくヘッドライトだけの中を過ぎると灯りが浮かんで来る。キリマンジャロ国際空港には5時半に着いた。空港内は、むしろひっそりと整然としている。宮城さんに手続きを任せ、まだ開いていない土産物屋などを覗いていた。出発時刻の頃になってから手続きが始まる。そこで、出国税をとられた。関空組のチケットにはタックスが含まれているのに、我々のものは入っていないらしい。なんとなく釈然としないながらも仕方がない。道祖神には連絡をしておくので、重複していたら払い戻しを受けて欲しいと言う。こういうケースで金が戻ったことはない。
 出国手続きが始まって、荷物の確認をし、タッグを見ると私のものが関空行きになっていた。空港手続きのガイドもいたのだが、宮城さんができないことはないと言う意味かほとんど手を出さない。その荷物の間違いやフライトナンバーの違い、行き先の違いなどなど、宮城さんが空港職員と散々やりあっていた。そのうち、空港職員の方がいやになって私達に、つまりガイドに話をしてもしょうがないので、お客である我々に直接問題ないことを告げにきた。不安はあったが、我々が日本に帰ることを承知の上で、問題ないと言っているのだから、まあいいかと宮城さんをなだめることにする。
 出国手続きは問題ないが、さすがにナイフの持ち込みは禁止されたようだ。何を聞かれてもノーと言えと言われた吉田さんも、どうしてもスーツケースに入れろと言われたようだ。言われたとおりにノーと言ったようだが、これは無理しない方が良い。ここで、宮城さんやトムさんとは最後のお別れになる。セキュリティーチェックのカーテンがあり、この先では見えなくなる。さよならだ。男女別のカーテンの中で、若干の質問は受けるが、日本へ帰るのか?程度の関係ない質問をして、ポケットにちょっと触ってOk。
 しばらくして飛行機が飛び立つ。1時間ほどの短いフライトで着いたのがダルエスサラム。エンテベに戻るものだと思っていた我々には、到着前のアナウンスからパニクッていた。着いたのはエンテベだろうと一生懸命ながめるが、どうも来るときみたエンテベとは様子が違う。どうしたのだろうと心配したが、それでもどうしようもない。空港職員のフライトナンバーが違うけれど問題ないと言ったのはこのことだったのか、などなど悩みながらも何もできない。
 再び飛び立って2時間、なんとかアジスアベバに到着する。エチオピアもタンザニアも区別してない我々も、ここで入国審査があって、やっと外国に来たのを思いだす。トランジットだから、さほどの検査はないのだが、それでも、来るときと同じようにチケット取りがあった。でも、我々のものはない。また、面倒だなと思いながらも、仕方なく係員のところに行くと、チケット発行はしっかりと手書きだった。ただし、コンピュータ上の確認はしている。それと、ほとんどインクの出なくなったボールペンを絞るようにして使っていた。それも絞り切れない状態になり、仕方なくポケットに入っていた4色ボールペンを渡すと、ありがと程度で使う。我々の分は終わったのだが、その後も忙しそうに書いているのに返せとも言えず、そのままになってしまった。
 キリマンジャロを飛び立つ時には、1時間程度の余裕しかないのに気をもんでいたが、着いてみると、今度はバンコク行きがかなり遅れていて出発が未定の状態だった。2時間遅れのアナウンスがあり、これ以上遅れると、バンコクでの乗り継ぎができない。今度はそちらの心配をしながら待っていた。バンコク行きの飛行機が、まだ到着しないので、待合室に入ることもできない。まわりの土産物屋を物色するが、もうスーツケースはないし、手荷物は手いっぱい、小物程度はなんとかなるかと女性達があちこち物色に走る。このあたりで、道中不安だらけでパニクッている旦那に対し、買い物ばかりに気を回している奥さんに、かちんときたのか、ちょっと不機嫌な状態になった。多少は止むを得ないだろう。
 それらしい飛行機が到着して、客が流れ、搭乗案内が出る。これまでに約2時間、飛び立つのには、まだ1時間以上かかるだろう。セキュリティーチェックを受けて出国ゲートに出ると、ゲートは4つくらいあり、真っすぐな廊下に4〜50人の待合室がある。銀行のカウンターほどの高さもない壁に仕切られた待合室は、入り口に係員がおり、入る時にチケットのチェックをする。ところが、中の椅子が少ないことや、1時間を越える待時間になると、トイレやタバコ休憩に外に出なければならない。最初はチケットを見せていたが、そのうち、顔パスになった。
 1時間を越えたくらいでエチオピア航空のスチュワーデスがきた。美人国というか、それなりに際立った顔をしている。飛行機に乗れるようになるのは、それからまたしばらく後だった。雑多な人種に混じってムンバイに行く。エチオピア離陸が予定より遅れていたので、ムンバイには深夜の到着となり、すぐに離陸する。ここからは、ほとんど客がいないので、のんびり出来たが、約3時間でバンコクに着いてしまった。

05:00-05:30 ロッジ〜空港
07:30-11:30 JRO-ADD
14:30- ADD-

5月4日

 バンコクに着いたのが4時、それから6時のノースウエストに乗るが、ここが一番の難関だった。広いバンコクの空港内をあちこち歩いて、到着ロビーやら案内所でノースウエストを探す。どこも禁煙席だから、なおつらい。吉田夫妻ともここまでで、彼らはちょっと余裕のある関空行きになる。ゲート入り口でお別れをした。ノースウエストの待合室は、係員はいたが、まだ開いていない。15分ほどでドアが開き、前から5〜6目で入場すると、我々のような乗り換え組は、これから荷物のチェックなどの仕事があった。チケットを渡したのに、なかなか呼ばれないので心配になっていると、名前が呼ばれた。けれど、通常の手続きに移ったのではなく、荷物がないので探している、とりあえず、待合室に入れとのことだった。
 2、3度カウンターに呼ばれて、ケースの色や形まで伝えて、出発間際には見つかった。こんな事は始めてだが、マロニエのタッグより貧弱なのだから、剥がれて当然と言えば言える。ノースウエスト6時間の旅は、最後のおまけで、しかも、バンコクまでの深夜のフライトと荷物騒動、早朝の出発と寝るには条件が揃っていた。13時50分に成田につき、思いのほか順調に税関まで済ませると、マロニエを確保した。一応、ここで道祖神の池田さんに電話を入れた。本人はいなかったが、連絡だけ頼んでおいた。
 約1時間待ちのマロニエに乗り、17時45分宇都宮着、18時3分の日光線に乗って、今回の旅も終わった。

-04:00 BKK
06:10-13:50 BKK-NRT
14:45-17:45 NRT-宇都宮
18:03-18:47 宇都宮〜日光