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CEBU6 2006/4-5

概要
4 20 成田〜セブ
5 8 セブドクターホスピタル入院
25  〃 退院
28 セブ〜成田 

往路
 昼過ぎの出発なので、昼食は成田でとる。この店は大きいせいか、入りやすく値段もまあまあ、すぐに食事が出るので、そばくらいが良い。左は新しくできたと思われる喫煙室。
 窓からの風景、セブに着くころには暗くなっているので、海しか見えない。右は機内食に出てきたデザートのたいやき。まあ、なんというか、フィリピン航空らしくないような、らしいような。

コンドミニアム探し
 セブについて、いきなり5軒のホテルを回ったが、すべて満室。今、夏まっさかりで中級のホテルに空きがない。しかたなく、前回の先生に見つけてもらったペンションハウス。これがまあまあなので、しばらくここに住むことにした。右は元CIAの先生、失業中なので、午前中だけ家庭教師をお願いした。
 これが、とりあえずの部屋。ワンルームだが、そこそこの広さがあり、必要なものはそろっている。出入りにも問題はなく、セキュリティーも十分と思えた。月2万ペソは高いが交渉の余地はありそうだ。
 これはアヤラタワー1の1室、元CPILSの生徒が借りている。ちょうど英語の先生がきているところだったが、この先生は、この日で終了とのこと。場所もいい。セキュリティーもいい。部屋もいい。眺めもいい。すべて揃って値段もまあまあなのだが、空きがない。
 左はガダルーペのコンドミニアムで月2万ペソ。一人用としては十分だが、部屋の配置が気に入らなかった。右はMさんち。プール付きだがアヤラの倍くらいする。

夕食等
 CPILSの現役生徒3人、元生徒2人との夢屋での夕食会。日本と比較して、あまり見劣りのしない味と値段。右はホッジポッジ改めエチオピアコーヒー88。日本人を取り巻く環境について貴重な情報源だったが、経営者が変わって、若干状況が変化しつつある。
 姉妹でシティペンションハウスに勤めているダダイとリンリン。日曜日があいているというので近くのバーベキューネオネオ。それに、2,3日後に部屋に遊びに来た2人&同じく従業員のカルメン。
 神楽のマネージャーnaoki氏とkashy。週1くらいでお世話になる日本食レストランだが、まもなく、それどころではなくなってしまった。右はチロリンのステファニーと妹。元はアヤラの前、今はASフォーツナのカオナグリルで。

セブドクター
 5/8に心臓発作を起こし緊急入院。CCUに1週間。これは12日の写真で、4日間はほとんど覚えがない。バルセロナの岩崎恭子が「今まで生きてきて、一番しあわせ・・・」というのが一時流行語になったが、これは私にとって、今まで生きてきて、一番痛かった。
 酸素、心電図、酸素計などなど機械につながれ、点滴までしていると、ひとつ外れる毎に幸せになる。全部外れると一般病棟に移れる。病棟移動前に記念撮影。私服のお兄ちゃんは覚えがない。
 個室に移って10日間。TV、冷蔵庫、ソファ、電動ベッドがついて2200ペソ/日。食事はご飯がかなり硬い、いわばフィリピン流だが、肉か魚、それに炒めものなどがついて、味も問題はない。ただ、じっとしているせいか、あまり食は進まなかった。それに朝昼晩夜の血圧測定他。
 ここはナースステーション。普段はかなり忙しそうにしているが、写真を撮らせてと言ったら、ポーズ。右は見習い看護師さん。
 看護師さんは10人くらいだろう。血圧測定やらなんやら日本のシステムとさほど違いはない。右の二人は栄養士。

お見舞い編
 セブスタディの先生マリベスとロデリック、それに元先生と弟。それに元日系企業従業員と友達、今は家庭教師をやっている。
 シティペンションハウスの3人。入院するときから世話になった。右はジェンと子供ジーン。
 今回かなりお世話になってしまったテスと友達。友達感覚で付き合ってもらえる貴重な通訳。それに見習い看護師だが、やはり友達感覚だったマックス。
 最後に日本人二人。ホテルエイシアのオーナー。それに英語学校エイジェント。

帰国
 医者の許可が下り次第、退院および帰国。帰国前日のMさんちでのすきやきパーティー。それに帰国前日に保険会社スタッフと般若で。
 空港入り口から飛行機、飛行機から空港出口まで車椅子。Mさんお疲れさまでした。ビジネスクラスで、成田からはタクシー、センチュリーだからタクシーとは言わないのかも知れない。全て保険会社の手配です。

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