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CEBU7 2007/1-2

概要
1 25 成田〜セブ
26 アヤラ、チェ・ルイーズ
27 ミングラニリア、神楽
28 セブ・ドクター、マリア・ルイザ
29 マリア・ルイザ、チロリン村
30 Jo'sチキン、フォレスト・アン
31 SM、アヤラ
2 1 セブ〜成田 

1/25 成田〜セブ
久しぶりの成田。フィリピン航空のチェックインラインは相変わらず長い。カード以外のラウンジ利用は初めてだが、慣れていると見られたのか特に案内はなく、出国後にどこが利用できるか聞くことになる。今回はアスカラウンジ。どうやらアルコールも喫煙室もある。が、関係ない。
マブハイクラスは40席くらいだろうか、全部が埋まっているわけではないが、ちょうど前列の人がいわば素人。いきなり椅子を倒してみたり、若干居心地が悪かった。設備も少し老朽化しているし、それらしいのは、この前菜くらいだろうか。 
到着するとテスが向かえに来てくれていた。しかも、室内税関出口だから、かなりコネがある。一般人なら道路の反対側、ちょっとコネがあっても建物を出て警備員の荷物タッグ照合の外だから、2段階違った対応。この国はいろんなことがある。すぐにホテルエイシアまで着て般若で軽く食事。 

1/26アヤラ、チェ・ルイーズ
ホテルエイシアの部屋、1泊2800ペソ、7000円は、かなり高級。8階宴で朝食。サービス朝食は、アメリカンもしくはフィリピーノ。和定食とは100ペソくらいの違いだが、そちらは会社契約の場合のみ。社長に100ペソ出すから食わせろと言ったら、対応が面倒らしい。付加サービスはお客さま対応に差が出来るので、重大な問題以外はお断りするのが原則とのこと。そりゃそうだ、けど。 
アヤラにテス、ベスを呼んでラテゴラで昼食。その後、エリはテスとアヤラで買い物。私はベスを家に届けてからカシのところでプリンタの調整と荷物の引き取り。右はホテル前でバスケットの試合をやっているところ。シノログの後夜祭とかディスコとか、運悪く3晩寝られない夜となった。 
シェルイーズ。それにテスのショー。日本語の歌も何曲かあり、なかなか気合が入っている。昨晩の到着でセブ初日でもあり、ワンステージを終えたところでホテルに戻った。 

1/27 ミングラニリア、神楽
SMで待ち合わせし、サンブラストでお茶してからホテルエイシアの戻り、荷物を積んでミングラニリアの家に向かった。セブから往復すると500ペソになったので、かなり遠い。 
室内の様子と集まってきた子供たち。いつまでもいるので、1ペソの小さいジュースのようなものを配った。このあたりは、さほど金持ちとはいえないものの、そこそこの人たちが住んでいるようだ。 
ホテルに戻るとマックスからTXTがきた。アヤラのボスでお茶してたら、私に似た人がいたので、ためしに送ったとのこと。こちらもボスでお茶してたが場所はセブドク前。それは私じゃないから、こちらへ来ないかと返事して、その後、予定の神楽で夕食。シャブシャブ大好きのリッチなお嬢様は現在19歳。半年前よりずっと大人びてきている。 

1/28 セブドクター、マリア・ルイザ
ホテルエイシアをボスコーヒー側から撮ったところ。最上階が8階宴。それからセブドクに向かった。CCUでは見た顔があったので、挨拶してチョコレートを置いてきたが、なにせCCU、処置中の1人とは笑顔で挨拶しただけ、廊下にいた3人と記念撮影して退散した。病棟の方は定期異動で全員変わっていたので、諦めた。 
マリアルイザのテスの家で神楽からの二人を入れて昼食。豚肉のコルドンブルー風、ブルドックの中濃ソースまであって日本食レストランにひけを取らない。それからいつものコーヒーが出て、部屋も問題なし、ビレッジ内で静か。眠れないホテルからの移動を決めた。 
夕食は4人でお福さんへ。ここのタンメンはセブ1と思っていたのだが、若干、変わった。スープが少ないからスープだけくださいといったらどんぶりで出てきた。最初から入っていれば、もうちょっと良かったかも。カントリーモールのスーパーで買い物をしてから帰宅。 

1/29 マリア・ルイザ、チロリン村
Mさんちからの朝の風景。鶏の声もしないし、静かだ。7時半には朝食の準備ができていて、ホテルのように定型でないだけに必要十分。うまいコーヒーがついて、これだけでもありがたい。一旦、ホテルに戻って、ホテルを引き払い、昼食に戻った。この昼食に、他に時間の取れなかったナツコを呼んだ。いつものことだがナツコが1人で来ることはなく、今回もクラスメイト1人。 
カルボナーラと明太子スパゲティー。こりゃうまいと食べてしまって、あわてて撮った1枚。ほとんどなくなっていた。カルボナーラも明太子もセブ1。そのうち、ホテルのジャニスから計算間違えで800ペソ足りない。私の罰金になるから助けてとTXTがきた。ついでではあるが、ホテルに行って払い、記念撮影。メイとジャニス。彼女たちにとって800ペソは2,3日分以上の給料になるだろう。 
アヤラでお土産を買っていたらスーパーで偶然であったYさん夫妻。マリアルイザまで送ってもらって、コーヒーを飲んでから、ついでに予定のチロリン村まで送ってもらった。右はチロリン村のユキコ。 

1/30 Jo’sチキン、フォレスト・アン
これが朝食。ポタージュ系のスープにコーヒー、それにハムとチーズが乗ったホットサンド。これで十分、味も良い。午前中暇なのでビデオを見ていた。なぜか古い日本映画が多く、美空ひばりのりんご追分などを聴いていた。この頃のひばりはすごいと思う。 
その後のテスの発生練習。ずっと聴いているのも邪魔と思って、しばらくは部屋にいた。ラーメンで昼食を済ませ、途中、88へお土産を置いてから、CITIペンションハウスへ挨拶に向かった。オーナーは昼寝の最中だったが、無理やり起こしてお土産を渡し、次回にもお世話になる旨お願いしてから、トントンへ向かった。 
ペンションハウスでダダイの電話番号を聞き、それから連絡する。なにせ時間がない。予定のJO’sチキンに来られないか、と招待した。コロンで学生をやっており、授業が6時半までなので、ラホッグ7時の待ち合わせにした。それでもなかなか来ず、テスに電話してもらってやっと到着。その後、久しぶりにフォレストアンまで行った。テスは眠そうにしていたが、自分で歌い始めると俄然元気が出てきた。五輪真弓を、これほどうまく歌えるフィリピン人はいないだろう。ヨウコがどう対応するか、マムシには気の毒だったかも知れない。 

1/31-2/1 アヤラ、帰国
最終日。ジェンに荷物を渡すのだが、夕食はテスのところでシャブシャブの予定なので昼食しかない。それにリンリンの電話番号をダダイに聞いたが、これも時間がないので昼食へ招待した。昼食と夕食。この日、昼食からいるYさんが一緒。 
最終日の朝、運転手のリトさん。それにマクタンのラウンジ。 
飛び出してすぐのマクタン島、ヒルトン付近。それに前菜。おしまい。 

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