月 | 日 | 概要 | |
10 | 4 | 羽田〜関空〜 | |
5 | 〜ドバイ〜 マルタ〜トリポリ ホテル | ||
6 | トリポリ〜フグファ テント | ||
7 | フグファ〜ブラックマウンテン テント | ||
8 | ブラックマウンテン テント | ||
9 | ブラックマウンテン〜ワオカルカビル 兵舎 | ||
10 | ワオアンナムス テント | ||
11 | ワオアンナムス〜大ラビアナ テント | ||
12 | タゼルボ〜ビジマオアシス テント | ||
13 | ビジマオアシス〜 テント | ||
14 | 大ラビアナ〜ベンガジ ホテル | ||
15 | ベンガジ〜キュレーネ〜ベンガジ ホテル | ||
16 | ベンガジ〜トリポリ ホテル | ||
17 | トリポリ〜ドバイ〜 | ||
18 | 〜関空〜羽田 |
10月4〜5日 | |
午後の出発で羽田〜関空。関空からドバイまで11時間、さらにマルタ経由でトリポリまで7時間。丸1日かけてリビアに着く。ビザは事前取得なので入国、税関も面倒はない(TDは苦労しているのかも知れないが)。ちょっとやっかいに感じるのは羽田と関空のペットボトル調べ。なお、エミレーツは飯のうまさとパーソナルTV、それにエコノミーでも足置きのあるのがいい。 | |
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トリポリの雰囲気は昨年と大きな変化はなし。ホテルも同じ。去年はコンセントにプラグを差し込んだらショートしてその階全部が停電になったが、今回はコンセントがメチャクチャに壊れていたので差し込む勇気が起きなかった。シャワーがちょっとぬるくてカーテンが汚い他は問題ない。去年よりちょっと客が多い感じがする。 | |
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10月6日 | |
トリポリからフグファまで800kmちょっと。市内から地中海側を2時間ほどで抜けると砂漠地帯に入る。まっすぐな(高速)道路で7時間ほど。前に向かい合わせ8席、裏にコの字型に8席くらいのラウンジのあるバスに客12人、コーヒー、紅茶のサービスもあって快適。 | |
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途中の昼食場所。ここで冷えた甘〜い椰子樹液を仕入れる。これを日中日向にさらしておくと、立派な濁酒になる。右はまっすぐで何もない道路。150km/hくらいで走る。 | |
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ランクルに乗り換えて1時間ほどのところに本日の宿ならびにレストラン。今回のコックさんはなかなか腕がいい。ちなみにランクル6台に12人が分乗し(キッチンカー1台)、TD、現地ガイド、砂漠ガイド、おまわりさん、コックにコック助手のスタッフ6名。ドライバー7名。 | |
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10月7日 | |
テントのすぐ脇が溶岩台地のようになっていて、そこを散策。岩が水を貯めるのだろうか、ちらほらと木立が見える。遠くにはクレーター状の山も見える。ランクルで1時間ほど過ぎると何もない砂だけの景色が続く。 | |
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ところが、何もありそうもない所で急にアカシアが1本生えており、そこで昼食。草もあり、ほとんどが茶色だが、黄色い小さな花を付けたカモミールは少し緑色。昼食はジュース、きゅうり、トマトに続いてのサラダ(左の大きな器)とメインのラーメン(手前)。ちなみに朝食は毎日ごはんとみそ汁。 | |
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火山まわりで車通りも少なく、岩がゴツゴツしていて10km/hくらいで走ることが多い。右はカルファッラ山。カルデラに状で雨が降れば中に小さな池ができる。 | |
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そのカルファーラ山の麓で今夜のテント。今回のテントはワンタッチ式でSSS60’とか書いてあったが確かにうまくやれば1分で組み立てられる。ただし、仕舞う時はきっちり根性を入れて小さく畳まないと、最後の袋詰めで苦労する。 | |
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10月8日 | |
朝食後ランクルで行けるところまで行くと、登りは10分ほどで頂上に着いてしまう。観光客は滅多に来ないらしくドライバー達も初めてらしく一番はしゃいで登っていた。その後、カルデラ湖の部分に降りる。干上がって日照り田圃になっていた。 | |
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その日照り田圃の上で記念撮影。1時間ほどでまたランクル移動。溶岩台地状の道なき道なので、平均時速は10km/hくらい。たまに日照り田圃の部分は早く走れるが、埃がひどい。 | |
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昼食は木が100本ほどはあるワジ(干上がった川)で一番大きな木の下。これもアカシアだが、これだけ水気の感じられない所で良く生きている。幹も皮もバリバリに硬い。右は椰子樹液ジュースの濁酒化日光浴。蓋を閉めて日向にほっとくだけ。1日で甘さが抜け濁酒、3日もすると高級酒?に変身。 | |
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昼食後、また、なんにもないまったいらな砂漠を3時間ほど走ると、急に小さなグランドキャニオン状の地形になり、そこを降りて、今夜の宿ならびに夕食。ちょうど10月誕生日が二人いたので、その誕生パーティーになる。ケーキのような蝋燭とパンパンパチンと言う花火が10発。 | |
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10月9日 | |
宿から見た朝陽と朝食後の散策、山登り。高さは2〜30mくらいだろうか、10分ほどで頂上になり、上はまっ平ら。 | |
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ドライバーと同乗の社長。9日間あるので3日間づつ組み合わせを変更して乗車。旅仲間はかなり個性の強い人たちだが、十分な協調性で問題はない。右は枯れ木。これはドライバー達の食事、お茶の重要な燃料である。 | |
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この日も1本アカシアの下で昼食。それからまた平らな砂漠をひた走る。昼食場所だけ見ていると木が結構ありそうだが、2時間走ってやっと1本くらいだろうか、全体としては右のような景色が続く。 | |
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見渡す限り薄茶色の砂漠の中で住宅1区画か2区画分くらいの緑があったりする。砂漠化が進んでいるほんの生き残りなのかも知れない。右は今夜の宿。リビア軍の宿舎で上級将校クラスが利用するとのことだが、観光客もお金を払えば利用できる。久しぶりのシャワー。プールもあるが水はない。ドイツ人観光客がシャワーだけ利用していた。 | |
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10月10日 | |
ワオアルカビルの兵舎から出ると、また何もない景色が続く、しばらくして小石(というにはちょっと大きいのだが)を積み上げた広場にある。砂地に適当な黒い石があるので、それを積み上げたり、字を書いたりしている。右は昨年書いたTANAKAさんのもの。これだけ大きく作っても1年間壊されないくらいの観光客しか来ないと言うことだろうか。 | |
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こちらはカルデラ湖のワオアンナムス(蚊の多い輪という意味らしい)なだらかそうに見えて結構急である。内輪山まで行った人もいるようだが、往復に3時間かかるとのこと。砂地の坂は蟻地獄のようで倍以上疲れる。 | |
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ここでは木1本見当たらず、昼食用に即席テントとなった。これ一枚でも風はほどほどに涼しいのでしのぎ易い。そこからまた3時間ほど走って着いた所が今夜の宿。岩のように見えるが最大でも直径が2〜30m、元オアシスの大木の成れの果てである。あと何年か、何十年かすると、ただの砂漠になるのだろう。 | |
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レストランと右はコンピュータにGPSデータを落としているところ。GPSがあっても砂漠ガイドを付けないのは危険とのこと。それにおまわりさんもいて(一応監視役なのだろうが)、これでこちらはノーテンキに「砂漠は広いな大きいなあ」などと言っていられる。 | |
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10月11日 | |
砂漠ガイドのビラールさんが見つけたというリビア軍が落としたイタリア戦闘機の残骸。でも、壊れ方から見て墜落ではなく不時着だろう。右は付近の地面、ビー玉くらいの石は赤黄緑とさまざまで磨いたようにきれい。 | |
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また砂漠を走る。遠くの山がうっすらと白く見えるが、右の写真のような石灰質の石のせいである。うす茶色ばかりの中では、この白さが輝いて見え、一段と砂漠をきれいに見せている。 | |
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砂丘らしい景色に入ると、ランクルも本領を発揮する。ただ本領発揮ばかりではなく、ときおり柔らかい砂にはまってスタック。キッチンカーが4,5回、それを筆頭にして延べ10台くらいスタックしたのではないだろうか。右は説明の必要もないなだらかな砂丘。砂の自然なカーブは心地よい。 | |
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夕食と、右はドライバー達のお茶席。ドライバーは自分達でまかないをする。料理担当とかお茶担当とかがいて、彼らは彼らで楽しんでおり、我々が顔を出せば歓迎してくれる。アラブ人の哲学は、いい按配に適当というか、根性という字は見当たらず、こちらも負担にならない。 | |
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10月12日 | |
朝陽ともっとも気の利くドライバー、アフメッド。ちなみに全員オーナードライバーで、そこそこ裕福な家庭のようである。車はかなり大事にしているし、運転には自信を持っている。それが原因で喧嘩になったりして、地中海の人やトアレグ人に比べると、砂漠の人(南の人)は純朴である。 | |
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砂漠も平らなところは時速100km/hくらいで走る。干上がった田圃状態のところと同じように見えるが、こちらは砂地なのでほとんど埃は立たない。右は鷹狩りの仕掛け。鷹を捕って、アラブの王様に売ると?百万円の値段がつくとのこと。でも、こんな砂漠のどこに鷹がいるのだろう。TD曰くとってもきれいな鷹だそうだ。 | |
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久しぶりの町タゼルボ。リビア産ミネラルウオーターの名前にもなっており、現役のオアシス。スーパーマーケットの内部と市場。スクールバスが学生を乗せて走っていたが、それぞれの家はうん百坪くらいに大きく見えた。裕福ではないが貧乏でもない。 | |
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現地ガイドお勧めの絶景ポイントで宿泊。TDとホームレスのおじさん?。砂丘におかれたテーブルも、広い景色の中で、いつもと違った豪華さを見せている。 | |
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10月13日 | |
砂丘の尾根に登って朝陽を撮影。それにキャンプ全景、ビジマオアシス方面。この後、しばらく徒歩でなだらかな坂を散歩。途中でランクルに拾われ、今は住む人のいないビジマオアシスを一周する。 | |
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湖は涸れてはいないものの水量は少なく、それも周りの草を真っ白に包んでしまうほど塩分が濃い。サギが数羽飛来していたが、ここに餌があるのだろうか。ナツメヤシは豊富で、ラマダンを前にして収穫に来ている元住人らしい人がいた。 | |
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そのナツメヤシの木の下で昼食。左奥に小さく住居跡が見えるが、100軒ほどもあったろうか。往時は数百人の人が住んでいたのだろう。右はビジマオアシスからバスの待つ幹線道路へ向かう途中に出てきたフェネック。2台で追いかけると、車よりは遅いものの、急な方向転換などで(ときおり転がっていた)2〜3分で逃げ切られてしまった。 | |
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最終のテント泊。右は今回のルートをGPSデータで確認している画面。ここを9日かけて通り過ぎた。ドライバー達は、ここから左端に見えるSABHAまで2日かけて帰る。 | |
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10月14日 | |
全員での記念撮影とお別れ会。右から2番目の砂漠ガイド、ビラール氏は、もう先がないから写真をいっぱい撮ってくれと言っていたらしい。右はバスの待つ幹線道路。この辺は通る車も少ないのか、この舗装道路より砂漠の方が走りやすい。 | |
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この日800kmをベンガジに向けて走るが、そこそこに疲れているのか、ほとんど寝ていた。左は途中のレストラン。もっともこの日ラマダンに入って、通常の営業はしていない。中央のガイド氏も昼間は飲まず食わずで我々の食べ物の心配をしていた。右はベンガジ付近。 | |
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ベンガジのホテルと久しぶりのホテルでの夕食。10日ぶりの魚。 | |
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10月15日 | |
ベンガジのホテルから見た町の景色。でかいパラボラがあちこちに向いているのがなんとも不思議だが、ヨーロッパのあちこちの衛星を狙っているのだろうか。ホテルそのものもトリポリより都会的。右はキュレーネに向かう途中の橋から見た抗イタリア時代の戦場跡。 | |
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キュレーネの遺跡。この遺跡は残念ながら神殿などは破損が酷い。パズルを組み合わせるにしても7〜8割がないのでは組み立てようもないと思うのだが。右はアポロンの泉。こちらは昔のままのようで問題ない。 | |
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カタコームでの昼食というか、お墓改造のレストラン。サービスらしい香りが日本人には合わない。右はキュレーネからバスで15分ほど離れた衛星都市アポロニアの円形劇場。ギリシア様式うんぬんより海に入りたかった。 | |
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夕方6時5分になってバス一時停止。ラマダンで断食中のドライバー、ガイド、おまわりさんが、バスの荷物置き場で断食明けの夕食。デーツ、ミルクから始まって、りんごやコーヒー、タバコまで。断食中はタバコも吸えない。右は夕食後に行ったベンガジの繁華街。ラマダン中は10時過ぎくらいから活気づく。 | |
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10月15日〜16日 | |
ベンガジのホテルのロビー。これだけ見ても、トリポリのものよりは違和感がない。右はブラックエアーのチケット。最近ゆるくはなっているものの飛行場の写真は面倒が起こると困るので撮っていない。 | |
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若干の日程変更によりトリポリに早く着いたので、追加されたサプラタ遺跡。ただし、暑さにめっきり弱く、遺跡目当てでもない私には難行苦行。その公園内にあったデーツ(なつめやし)、あまりに見事になっているので写真を撮った。味は干し柿。干し柿同様、萎びる前は渋くて食えない。 | |
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競馬場(ギャンブルはご法度なので馬術競技場と言うべきか)隣のレストランで夕食。それから緑の広場まで行くが、ラマダンのせいか9時くらいではほとんどの店が閉まっており、馬車に乗ってホテルに戻った。 | |
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最終日。午前中は博物館や魚市場に行った人もいるが、2度目なのでのんびり休憩していた。正午に出発して市内で昼食の後、トリポリ空港の待合室と入口付近。 | |
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こちらトリポリの飛行場を飛行機から、それにエミレーツの機内食。病人をドバイへ運ぶためかベッド設置に手間取り出発が1時間ほど遅れた。ドバイまで5時間。2時間弱の待ち時間で関空まで9時間。それに羽田で、今回の旅行もおわり。 | |
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