朝6時半に氏家を出発。東北自動車道がこの年の秋に岩槻〜宇都宮が開通なので、ひたすら国道4号を北上、本州最北端の大間を目指す。途中、福島付近で朝食、仙台を過ぎたあたりで昼食、三戸で夕食。3分の1くらいは私が運転したような気もするが、覚えがない。大間に着いたのが23時。明朝のフェリーの予約をし、岸壁にて車中泊。フェリーの事務所は帰宅するところだった。潮臭く、波の音。吉川さんの家と大間の港。(2021年11月全面改訂)この頃でもニコマートftnあたりを持っていたのだが、今と違って現像やらプリントの手間がかかり、カラーは1枚70円くらいと高価だった記憶がある。そのせいもあり、道中の写真は全く撮っていない。大間についてようやく旅行気分も出てきたようだが、まずは白黒フィルム。そのためか以前のHPでは省略されている。
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起きてガソリンを入れるつもりが、7時半のフェリーに空きがあるというので、それに乗る。9時には函館に着くが、函館観光は帰路を予定しているので、そのまま北上する。駒ヶ岳のドライブインで昼食を取るまではよかったのだが、森町を過ぎたあたりで、コルト1200に異変。前車輪がゴーゴーと鳴り出す。なんとか引きずって長万部まで行き、整備工場へ持ち込んで修理依頼。前輪ベアリングの損傷。部品が明朝になるとのこと。仕方なく宿をとって待つ。小さな町だが、この時期には大流行だったボーリング場があり、ボーリングにビリヤード。パチンコまでやった。トラブルによる旅行の中断なので、今なら面白がってあちこちの写真を撮るのだが、長万部の写真が全くない。大間の港とフェリーからの景色。フェリー内部の写真もない。 |
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朝食後、長万部を出発。蒸気機関車は結構あちこちで見かける。ニセコ駅を過ぎたあたりで蹄鉄屋を見つけ、2個1000円のを買って記念撮影。 |
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今回の旅行、GWでも北海道ならスキーができるとのことでスキーも目的のひとつになっていた。コルトの背中にスキー板を載せている。ニセコのスキー場が見えたが地肌を見せていてダメだなあと諦めつつも、近くにいた人に問うと、上の方はまだできる、スキーヤーもいっぱいいるよとのことで行ってみた。確かにできそうなので、カレーで腹ごしらえしてから、ロッジを予約し、リフト半日券を買ってスキー。3回ほど滑ると足が痛くなってギブアップ。吉川さんも同意見だったようで、予約を取り消し、倶知安、余市、小樽。小樽は錨屋という宿を予約した。スキー場とスキー場から見える羊蹄山。 |
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錨屋を含め小樽市内の写真はない。これもネットでやっと見つけたもので昭和51年には解体されたそうだ。右は翌日の手宮機関区。鉄道記念館は、本日まで冬季休業だったようだが、係の人が開けてくれた。それにD51が入ってきますよと案内され、10分ほど待って撮ったのが、この写真。ここからカラーになる。 |
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手宮の機関区を出ると、小樽の街を見ることもなく、札幌への有料道路を通って札幌。駅の駐車場に車を止めて大通り公園。そのあたりをオーロラタウンと言ってるようだ。 |
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すすきのでラーメンを食べ、タヌキ小路でレコード屋を見ると、すぐに旭川に向け出発した。 |
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トラブルによる苫小牧での1泊が影響しているのか、旭川は通り過ぎて、層雲峡まで入り、夜7時頃に適当なところで車中泊にする。適当な食事処もなく、ラーメンで夕食。似たようなことを考えるのはいるもので、仲間3台とあるが、そっちはグループだったように思う。翌朝はご飯を炊いて缶詰で朝食。銀河の滝等で記念撮影。 |
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網走に向かう。人に道を聞くと、みな親切に教えてくれると日記にある。マップもナビもない頃、地図とにらめっこするより、人に聞いた方が早い。網走刑務所はまだ現役だったようで、一般人は門の外から覗き見し、記念撮影。それに、こんな作業をする馬があちこちで見られた。 |
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斜里から半島を横断して標津に向かったが、10kmほど行ったあたりで通行止め。知床へ戻り、ウトロでビジネスホテルのような、今回の旅の中で最高のホテルに泊まる。残念なことに写真もなく、ホテル名も書いてないので詳細不明。そのホテルの近くで撮ったであろう海と、次の日に向かった知床五湖。 |
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ウトロ、斜里から峠を越えて川湯温泉。屈斜路湖を見てから地獄谷。今はアトサヌプリというようだが、このころは地獄谷と呼んでいたようだ。その手前の白樺林と地獄谷の写真。この後摩周湖へ向かったが、完璧に霧の摩周湖で写真もない。 |
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摩周湖のあと阿寒湖に向かう。この日は知床から屈斜路、摩周、阿寒と観光地巡りになったが、これらがとても近い距離にあるせいか、それなりにまわれてしまう。ただし、写真が高価だった時代でもあり、霧も摩周湖もなければ、途中の景色も機関車とか馬でもいないと撮っていない。この辺のことが、今のなんでも撮っておけ精神に繋がっているのかも知れない。阿寒湖と次の朝の鹿児島の吉元さんと。 |
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左は50年前、右は現在のストリートビュー。アイヌ部落であり、道路傾斜などからも、以前と変わっていないのだろうと思う。そのコタン屋の主人、弟子フミさんと。阿寒では、町の東端に車を留めて、西にあるアイヌ部落まで歩いた。コタン屋で、ひょんなことから今日は車中泊をするとの話が出、素泊まりでよければうちへ泊まりなということになる。夕食後、裏手の共同浴場が1人30円。戻ると、タクシーの運ちゃんと吉元さんがいて、ちょっと話をした。 |
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3枚前の写真は、この日の早朝。こちらが帯広を抜けて襟裳へ向かうのが確認できたので、車に同乗させて欲しいとのこと。こちらも得難い機会かと歓迎。荷物をスキー板の上に載せるなどして後座席を開けた。足寄に向かう途中で馬車を見つけ記念撮影。糠平湖、然別湖と進む。然別はまだしっかり冬だった。 |
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帯広空港に彼女を降ろし、黄金道路を経て襟裳岬。夕日を見てから浦賀まで行って車中泊。宿を取るとなると5時くらいまでに切り上げなければならないので、1日の走行距離は250km程度。車中泊にすると400kmほどまで伸びる。 |
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静内からランチョ富川という牧場に寄り、支笏湖から白老のアイヌ部落。登別温泉の地獄谷は川湯の5倍くらい大きく、流れている川が熱い。洞爺湖、昭和新山を経て長万部。昭和新山で車がパンク。来たときと同じ店に修理をお願いする。 |
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函館、五稜郭公園とハリストス正教会。函館山には行かず、フェリーの予約をして昼食。今回の旅もほぼ終わり。 |
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フェリーからの景色。大間から野辺地まで足を延ばし車中泊。ただただ帰るだけなので日記への記載もほとんどない。氏家の家の前でコルトと記念撮影。北海道一周と書いてある。 |
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